讀者の領分
『みづゑ』第七十三
明治44年3月3日
■こんな記事を大阪毎日で見た、曰く「英國畫伯マツクワーター氏は死去せり、同氏は現代英國風景畫の老大家にして英國の風物南欧の自然が氏の妙手によりて世に紹介せらるゝもの頗る多く、特に伊太利コモ湖眸風景畫の如きは人をして神往に堪へさらしむ氏はエヂンバラ附近に生れエヂンバラ圖按學校の出身にして、千九百一年出版の水彩風景畫集は廣く世に行はれ我國洋畫界にも多大の感化を與へ居れり」なんと畫界の大恨事ではあるまいか(英洋)■前號一會友君の提議は御尤だと思ふ。私の考では先生が批評して下さるのは一は『みづゑ』發展のためでもあらうから御互に『みづゑ』の讀者を殖やすこと盡力すると共に、批評と願ふ人達はいづれもの身分に應じて『みづゑ』の特別讀者になるとか、基本資金を寄附するとかしたらどんなもんたらう、諸君の御一考を煩わす(大阪の一會友)■前號一會友氏の御相談は適切な事と思ふ眞面目に考へて一大明案を提出します(H・H生)■大下先生の文部省出品『春』の原色版を拜見させて下さい(華洋)■諸君七十二號の『みづゑ』の原色版は驚く程いゝねー『興津海岸の夕陽』なんか頗る上出來だ、一眼見てなんとも言はれんいゝ感じがしたそれから日記抄だねーなんと有益なお話しだらう、石川先生のリフラクシヨンはーはゝゝゝなる程と感心した、それはね石川先生の肉筆三枚も見たからさ(廣島△▲生)■二月號の水繪原色版は三枚共見ものなり、中にても瀧澤先生の『雨後の夕』は心知よし(熱心生)■肉筆葉書交換希望者は(東京大久保百人町百二十二中村三郎)(仙臺市片平町四四阪秀太郎)(府下八王子町大橋町六七平塚)