靜物寫生の話[十四]
大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ
大下藤次郎
『みづゑ』第七十四 P.9
明治44年4月3日
△靜物寫生の話も、鉛筆畫をすませ、一色畫も説き終つた。今度はいよいよ水彩畫である。
△まづ道具を調へなくてにならぬ。第一に入用なのは繪具で、繪具には種々あるが、二ッ折パレットを所持してゐる人は、チューヴ入りが便利である。それに次いでは、十二色以上の佛國製繪具等がよい。兩開きになつてパレットの二つ付いてゐるのは壹圓以上から種々ある。
△初學のうちから繪具の上等品を使用するには及ばないが、あまり下等品では、色が出ない、忽ち變色又は褪色する、從つて不愉快でもあるから、美術家用の極上等品にも及ばないが、小學校の生徒の使用するやうな劣等の品は避けた方がよからう。
△繪具は乾製と陶器入と筒入との三種がある。粉状のものもあるが、使用に不便で、誰れも使はない。そのうちで乾製を軟らかに練て使へば、一番安全だし、量が多いから價の點も割合に低い。陶器入は、容器のためか量が少ない。廣く用ひられてゐるのは、筒入即ちチューヴ入といふので、是には製造の會社により、品質により、價に大なる高下がある。
△美術家の用ひる品は、日本で得らるゝ程度としては、英國のニュートン製、ニューマン製、及ラフエル製の一部である。學生用としては、佛のブランシ、又はルフラン、英のニュートンの學生用などで間に合ふ。勿論、その中に全然使用に耐えないものもないではない。
△菱形にBの印のついてゐる廉價なチューヴ入繪具は、舶來だとも云ひ和製だともいふが、何れにしても價の競爭から、品質を非常に悪しくしたので、殆ど使用に耐えない。其多くは安石鹸のそれのやうに、澱粉が入つてゐる。透明な繪具も不透明な感じになる。褪色變色、あらゆる弊害を具備してゐる。稽古用としても用ひないことをお勸めする。
△いくら繪を描いた處で、繪具代は高の知れたものである。最初揃へる時困難ではあるが、切角苦心して畫いた繪の成績を思つたら、安繪具を使ふことに止めた方がよい。繪具の品質、其他については、別に稿を起して説明する筈である。
△使用すべき繪具の數は、最初は十色も有ればよい。繪具屋へゆくと二三百種あつて、畫くべき繪によつては、それそれ有用であらうけれど初學のうちに、あまり繪具の数が多いと、却て混雜を來して目的の色を得られないから、澤山備へるには及ばない。
△黄、赤、青の三原色から出た色を、三種づゝ、他に白があればよい。普通はチヤイニス・ホワイト、ガンボーヂ(或はインヂアン・エロー、オーレオリン)カドミユーム・エロー(或はクローム・エロー、レモシ・エロー)エロー・オーカ、ヴァーミリオン(或はフレンチ・ヴアーミリオン)クリムソンレーキ(或はカーマイン)バアント・シーナ(或はブラオン・マダー)インヂゴー、ピリヂアン(或はサイプラス・グリーン、フーカスグリーン)ゴハルト等で、このほかにライト・レッド、オルトラマリンなどがあつたら充分である。
△普通繪具箱に在るエメラルド・グリーン、セピア、アイボリー・ブラック、ブルシヤン・ブルーの如きは、殆ど必要はない。若し使用するとしても、それは極小量である。ブルシヤン・ブルーの如きは多量に使ふと、繪が下品に見える。
△チューヴ入の繪具をパレットに出すには、前に陳べたやうに、明るい色から暗い色といふ風に、順序をたてゝ置かないといけぬ。赤の隣りに白があつたり、其の隣りに青があつたりすると、自然混合された時、兩方の繪具が害をうけるのみでなく、使用者にとりても、右なり左なりから順序が出來てゐると、暗闇でも其色の在處が分る筈で、寫生中に筆先のマゴツク憂がない。
△チューブ入りの繪具の中には、直ぐ硬くなるものがあるが、パレットに出して置く量は、よく考へて、あまり少しではいけない。使ふ毎に一々チューヴから出すやうでは、感興も逸してしまうし、筆も澁滞する。一枚の繪をかくのに、入用と思ふよりは少々餘分に出して置いて、繪具は惜氣もなくタップリ使ふ習慣をつけたい。
△パレットは、一色畫のときに話した通り、二つ折の大きなものが便利である。近頃出來たアルミニューム製は價は高いが軽い。是にはヱナメルの塗つてあるのと無いのとある。塗つてある方が初學者には都合がよい、△パレットは、使用後は洗ってキレーにして置きたい。パレットがキレーだと、ヱライ畫かきでない樣に考へてゐる人もあるが、大間違ひだ。パレットは發色を見るための道具であるといふことを忘れてはいけぬ。
△筆は一色畫のときに用ひたものでよい、即ち夏毛の五號と八號が一本宛あればよい。大きな繪でも畫くとき、又にワッシをするために、十號又は十二號が一本あつてもよい。
△筆はなるべく一本で間に合はすやうにする。二本片手に持つてやる人もあるが、西洋畫では、ワザワザボカス必要は無いから一本でよい。博物の標本をかくのではなく、細かい處も大きく見て感じを現はすのを主とするのであるから、細筆の必要はあまり無い。
△筆に、水分の多い時は、木綿の布で取ることにする。日本畫家のやるやうに、口で吸取るのはよした方がよい。
△筆は、あまり軟弱なのはいけない。和製の黒毛筆には、細くして弱いのが多い。無論畫くべきものにもよるのではあるが、稍粗剛の方が使ひよい。
△あまり尖の鋭いのは使ひにくい、少し使ひ慣れた筆が一番よい。尖の鋭い筆を、故らに剪つたり焼いたりしたのはやはり使ひにくい。自然の消失を待つのがよい。
△筆洗は大きなものがよく、また其水は出來る事なら?〃換へたい。
△用紙はワットマンが一番使ひよい。OWは特に水彩畫のために出來た紙だが洗ふのにはよいが、初學者には少し剛過ぎて繪具の乗つが悪い。水彩畫紙といふ粗面の紙は、洗ふことも出來ず、繪具が皺に溜まつて醜くなり、且伸びが悪いから用ひぬ方がよい。木炭紙を使ふ人もあるが、木炭紙は其名の如く木炭にはよいが、水彩には不適當である。色はバッと鮮やかに出るけれど、伸びないのと、洗ひが利かぬと、重潤の効果が悪いので用ひられない。
△趣上等の畫用紙の裏面は、ワットマンに次いで、割合に使用に耐える。ケントの大判叉は中判の裏面も、よく海綿で柔らかに磨って使へば、花のやうな鮮やかな色調を出すのに役に立つ紙である。
△水彩畫を描く時は、紙は必ず水貼すべきものである。水貼の法は水に浸した海綿で、よく紙の兩面を潤ふし、畫板へ載せて、豫め用意してある四五分幅位ゐの厚紙(模造紙がよい)へ、硬い糊を濃くつけて、紙の皺を伸ばし、四邊を畫板へ、貼りつけるのである。
△スケッチングブロックといふて、ワットマンを數十枚重ねて貼つてあるものが、文房具店で賣つてゐる。戸外のスケッチには便利の場合もあるが、室内の靜物寫生には不向である。紙はヤハリ一枚々々水貼して使用した方がよい。
△些々たる勞を厭ふて、水貼を怠り、ピンで止めて畫く人もあるが、荷も眞面目に稽古でもしやうといふ人は、そんな事はせぬものだ。水貼をしないと、畫いてゐるうち紙が脹れ上り、また乾きも遅く、繪の結果の上に少なからぬ損害がある。
△畫板は、鉛筆寫生の時からのでよい。新に求めるなら、ワットマン四ッ切が貼れる位ゐの大きさにするとよい。材料はよく枯れた桐が一番よい。ボール紙に澁を塗つて作つた畫板もあるが、凸凹が出來ていけない。
△畫架は、一色畫のとき用意したものでよい。新に求むるなら、戸外と兼用さるべき小さなもので、三號か四號でよい。專門家はも少し大きくてもよからう。
△このほかに入用なものは、一色畫の時と同じく、輪廓をとる硬い鉛筆、柔らかな消ゴム位ゐなものである。