三脚物語[第七回の下]

大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ

汀鴎
『みづゑ』第七十四
明治44年4月3日

 十一月九日の夜はあけた。今日は一同島の西、土の庄へ引移らうといふのだ。僕は舟に乗つて辨天島へ往つた。海上半時間、小さな島で、一隅に社がある。一方は松の林で、一寸遊ぶによい處だ。宿の大阪から來てゐる活辨天を引張つて來たいと云ふた人もあつた。E先生は此の島が大氣に入りで、いろいろの計畫談が出る。すると、草壁の村長さんは、太平洋畫會此島を献上しませうといふ、難有仕合せだが、さて貰つたところで持つて臨れるものではない。
 十一時ごろ島から歸つて、F先生J先生G先生達と、俥を聯ねて土の庄へ向った。例の犬はワンワンと吠えながら、先に走る、俥は、上りは遅々たるものだが、一朝下り坂となると、それはそれは恐ろしいやうに早い、僕等はいくたび振落されはすまいかと、小さい膽を冷やしたか知れない。
 土の庄近く、淵崎の八幡社の手前迄來ると、松原がある。その松原の奥は、黄色に輝いた花崗砂の小松山だ。その山の上から、大聲出して呼ぶものがある、見ればA君で、一行を迎えてニコニコしてゐる。
 不取敢俥から下りる。僕等は蹴込に置かれた。ドヤドヤと皆ンな往つてしまう、犬が革を嘗めるので氣味がわるい。
 やがて車夫が來て、一かゝへにして僕等を連れてゆく。砂の山へ上つて見ると、見晴らしは素敵だ。遠くに見えるのは四國の五劍山、續いては八島、其前に横はつてゐるのは土の庄で有名な餘島で、左の方は小豆島三都の半島が、ヌット突出してゐる。鼠色の空、鼠色の海、白い帆をあげた舟が三ツ四ツ泛むでゐる。どうしても瀬戸内の海の感じだ。
 僕等は黄色の砂の上に置かれて、半時間ばかり辛抱した。そのうち、西の峰を廻つたE先生とH君が偶然に落合ふ。E先生は不相變の山登り、岩の上を駈け廻つたらしい。H君は頻りと手眞似で其話をしてゐられる。寫生が濟むだら島へ往けといふので、一同岸へ下りて舟へ乗つた。小豆島の中のアヅキ島といふのが此處にある。小さなもので。袂へでも入りさうだ。餘島は四つあつて、干潮の時は舟なしで陸から渡れるやうに續いてゐる。木のあるのもある、畑のあるのもある、一番奥の奴が一番大きく、こゝには土の庄大森氏の別莊があつて、桃の畑もある。
 甘藷の畑もある。折から林檎の返り花がちらほら、やゝくれかゝる中をほの白ふ咲いてゐた。
 舟から上陸した時は、もう燈火がついてゐた。町をいく曲り、大きな家の格子をくゞつて、奥の奥の細長い部屋に置かれた。
 そして、今朝別れたトランク氏や洋傘君に御目にかゝつた。
  二
 僕等の居る隣室が、幾間か明放たれて、そこが食堂、次が寢室らしい。先生達の詰所、控所、否休息所に、長い廊下を隔てた彼方の新しい離座敷だ。雜談は無論聞こえないので少々不便だ。』
 間も無く食事が始まつた。一行の言菓遣がワルク叮嚀だ。C先生の如きは、特に恐縮的音聲で、どうもいつもと調子が違ふ。
 「まアもうお一つ、どうぞ」など、女の聲も草壁の辨天さまとは樣子が同じでない。いつもなら「もう飲めないよ」なンていふ處を、「いゝへもう澤山で」なンてわるく濟ましてゐる。入口からして變だと思つたが、此家は素人家であるらしい。誰やら隣りの室で、「どうも窮屈だなア」とつぶやいてゐた。
 暫らくしてから一同寢床に入る。コソコソ話が始まる。離れわランプの下でトランプをやつた。C先生がうつかり起つて衝突したから耐らない、ホヤが毀れてE先生の頭の上へ落ちた、先生は幸に長髪で怪我が無かつたが、若しF先生だつたら大きな事にならうといふ。すると、「ナアニ僕ならツルツルと辷り落ちます」とF先生は濟ましたもンだと大笑ひをする。次は歡迎の話た、小豆島、到る處の町や村では、一行を招きたいと申込む。
 ある村の和尚は、隠れたる瀧を紹介して貰ひたく、是非一同自分の寺へ來てくれといふ。何でも、寺では二三日前、土の庄から料理人を招むで、御馳走の支度だ。それはよいが、寺には色紙、短冊、扇子、畫帖は事もおろか、六枚折の屏風までも用意がしてあるとの話で、それに恐れをなして、一行中誰れも往かうといふものがない。和尚は此度の事も、自分達の盡力によつて出來たといはへぬばかりに、ヤッキとなつて引張らうとする。
 一行は多少反感もあつて往くまいとする。可なり他から見て面白い一幕があつたらしい。
  三
 雨の音がする。寢床の中で昨日の和尚の崇りだらうと笑つてゐる。骨休めが出來て嬉しいといふ。島の別莊へ往つて家の中で一枚やらうといふ。皆それぞれ望みがあるらしい。J先生が「オマイワヤワヤワオマイワヤワヤワ」と寢言を云つたと、C先生が素つぱ抜く。證人がないのでホントか嘘か分らない。そのうちにどうやら一同起きた樣子だ。
 烈しい風が吹く。強い雨が降る。晝ごろになつて雨は歇むだが、風は益〃勢が加はつてくる。この分では出まいと思つてゐると、主人はヒヨックリ入つて來て僕を掴むだ、出て見ると、大した風で往來も止まりさうだ。秋の濃い口は、カンカンと白い道を照らしてゐる。鹽濱を通る時など、海から來る風に吹飛ばされさうだつた。
 主人は、風の無い處をとあちこち尋ね廻つて、家の背後へ入つた。穢ないジメジメした處だ。不愉快だ。一寸三脚に生れたことを悲觀する。
 宿へ歸つたら、京都で別れたB先生が、M君と共に來てゐる。一行はまた賑やかになつた。
 今夜は郡長さんの御招待で赤松樓とかへ皆往つてしまうた。淋しいこと非常だ。僕の上には、柱の釘にタオル君が引かゝつてゐた、誰れのだか分らない。絞り方がわるいと見えて、時々冷たい雫がポタリと僕の襟の中へ落ちる、首を縮めるだけでどうすることも出來ない。
 赤松行の一同が歸つて來た。今夜は面白かつたといふ。郡長さんは話せるといふ。高松の盆踊りは素敵だつたといふ。料理の中に餡ころ餅が出たが、下戸に同情のある仕方だといふ。アゴを無闇に喰はせる處だなアといふ。美人は居ないナアといふ。
 美人は居るよといふ。何の事やら分らぬうちに鼾の聲がきこえ出す。今夜こそ寝言でもきかれさうな晩だ。
 

小豆島淵崎海岸大下藤次郎筆

  四
 雨が時々降る。風も中々吹く。十時ごろになつて出掛けた。C先生と一しよだ。
 關西の俥はよくカタンカタンと高い音がする。なぜあんな音をさせるのかと車夫にきく。音をさせるのではないが、心棒と釜金との問に遊びがあるので、車の動くごとに音が出るのだ。遊びが無いと、發條が強いから、曲り角などで轉覆する。發條を弱くすると、直きに毀れる。致し方がありまへんといふ。尤の理窟と、主人達は感心する。物事には、遊び即ち餘裕といふものは、必要なもンだと、乍憚僕も感服する。
 俥は中山といふのに向ふ。道がよくないので?〃下車する。一時問ばかりて、中山のネネ佛の家へ着いた。
 面白い處だ。南の國へ往つたやうだ。青色の瓦、白壁、高い圓い栢の木、蘇鐵、夏蜜柑の樹、どうしても熱帯式だ。寫生が始まる。時々雨が降りかける。傘をさす、疊む、中々忙しない。
 寫してゐる家から、老婦人が出て來て、お茶をいれたから辨當をつかへといふ。僕もお供をしてゆく。入口の間に毛布が敷いてあつて、車夫は辨常をこゝへ運むである。土の庄の辨當は三重で、御馳走は二重もある。珍昧が澤山出る。辨當の中にも、カステイラや羊羹が入つてゐる。食後のデザート、洒落たもンだ。その傍に、銀紙に包むだ二つの塊まりがある。クリームチョコレート、いゝものがあつたとC先生は大喜ひだ。いよいよお茶になつてあけて見たら、何の事だ、栗のふくませ煮であつた。
 ネネ佛の寳物を拜見して、それからまた一しきり筆が動いた。いよいよ歸らうといふ時。老夫人は夕飯の用意にかゝつたから、今少し待てといふ。主人達は、今夜も他から招かれてゐるのだし、こゝで御馳走になつては都合が悪い。大ぶ苦しい斷り方をして辭退してゐた。
 ダラダラと坂を下つて、本道へ出で、さて俥へ乗らうと思ふと、怪しい雲が押よせて來て、向ふの山は雨にかくれた。も一度來るのだらう、待たうといふて、とある家の中に入つた。
 待つ間程なく、雨は烈しく來た。山畑を追はれて走る農夫の姿は、可なり滑稽なものだ。すると、突然目の前の道を、非常の勢で過去るものがある、何かと思へば、眞黒な大牛だ。今しがた雷鳴があつたので、驚ろいて駈け出したのだらう。奔牛の勢といふものは大したものだと、大に感心する。あとから持主が笑ひ笑ひ追かけてゆく。
 二つ三つ素敵な奴が鳴つて、あとはカラリとしたよい天氣になつた。西の空には薄月さへ見えた。カタンカタンにゆられて歸る、』
 B先止とH君とば、この日西の瀧へ往つたら、例の雷鳴で、大急ぎに下山した。途中猛烈な奴が來たので、H君は思はず伏と叫むだB先生は器械的にバタリと岸角に俯した。あの時は實に恐ろしかつたと、顔の色をかへて話してゐられた。其他頭から濡れた人カンヴァスを飛ばした人達もあつたさうな。
 夜更けてから一回歸つて來た。どうも窮屈で、少しも醉はないといふ。一度々々勝手元から運ばれたのでは、飯も咽喉を通らぬといふ。よほど弱つたらしい。平生禮儀を辨へぬ連中だから、少しはお灸を据えてもよからうといふ人もある。御馳走になるのは苦しいものだれへと、つくづく感じたらしく、憐れつぽい聲で囁やいてゐるのもあつた。
  五
 十二日には、北海岸の大部といふ處へ往つた。峠を越すので歩行く處が多い。峠の上からの眺望は可なりよい。中國の山々も見える、犬島も近くに見える、製煉所の毒烟は盛んに立昇つてゐる。
 暖かいといふよりも、むしろ暑い甘藷畑に、二三時問苦しむで、またも俥て送られた。此夜は何の事もなかつた。A先生が出發したので、少しく淋しさを感じた位ゐ。
 十三日には主人は出發するのだといふ。H君が同行する。朝早く起こされて、俥に乗せられ、艀船に乗せられ、宇野高松通ひの聯絡船に乗せられた。鐵道の役員は、歡迎のつもりか、一等室へ僕等を置く。主人達は甲板に居て部屋へ入つて來ない。
 高松に着いたら、僕等は宿屋に預けられ、主人達は手ぶらて琴平へゆくのだといふ。琴平といふ處は、景色が詰らぬので、僕を連れてゆかぬのは、何とも仕方がない。叉もスケッチブック君に様子をきく事にした。
 歸つて來たのは夕方であつた。案の諚、琴平は詰らぬ處だといふ。途中の丸龜多度津も繪になりさうもないといふ。
 琴平はコレラ流行以來、參詣人が少なく、靜かなものだといふ。定めて大俗地だらうと思つたら、成田のやうではなく、どこか神聖な處もあつてよかつたといふ。たゞそれだけの話で、諸君にお傳へするやうな、奇抜な出來事もなかつたやうだ。
  H君は俥で屋島へと徃つてしまう。主入は波止場へJ先生を迎へにゆく。やがて笑ひながら歸つて來た。J先生のほかにM氏も居る。何が可笑しいのかと思つたら。船が着くと、J先生はスリッパの儘で上陸してしまつて、暫らくたつて氣がついたのだといふ。とうとうやつたと、M君は大喜びだ。すると、宿の番頭が一枚の膝かけを持つて來て、これはコチラ様のではありますまいかといふ。見るとM君の所持品で、マンマと船へ忘れて來たのだ。今度はJ先生が手をうつて喜ぶ、今迄は淋しかつたが、これで一花咲いた。
 

小豆島中山ネネ佛の庭大下藤次郎筆

 夜の九時頃に船に乗つた。香川丸といふてよい船だ。船もいゝが月もよい。僕も引張り出されて、甲板に腰かけの御用をつとめた。備へつけのやつは夜露にぬれてゐるからだ。三人で輪投が始まる。弓術の大先生は成績頗るよくない。主人は八ツの輪を、月夜に四ツ入つれたといふて大得意だ。
 三等客相手の物賣が、長い桟橋にならぶ。船からも、陸からも、提灯のあかりが、ちらちら海にうつって、景氣がいゝ。港の夜といふものは悪くないと思つた。
 サロンでは、主人とM君と碁が始まつた。兩方共うてさうな顔をしてゐるからおかしい。碁を知つてゐさうな人が來ると、モヂモヂしてゐる。
 丁度、馴れない人が寫生に出たやうなものだ。そのうち船が少しゆれ出したので、急いでベッドに入つて仕舞つた。
 大阪に着いたのは朝、それから急行列車で、其夜久し振に吾が畫室に戻つた。今度は何處へ連れてゆかれることか。

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