寄書 面影

不圖
『みづゑ』第七十四
明治44年4月3日

 楢の梢をゆする寒風がどうどうと、大波ても寄すなかの樣な音のする日は實に寒い。日曜には至つてこんな片輪な日が多い。
 今日も矢張り片輪の域を脱することの出來ない程寒い日和だ。
 吾が輩は別にこんな日を好んだ譯でも撰繹した譯でもないが、不斷ずぼらな男は、何の因果かこんな日に巡り遇ふことが珍らしくもなければ別に取り立てて不思議がる暇もないからカバンを肩に郊外に出た。
 探し廻って居ると小さな丘が大きな山に捨てられた樣に、田圃の中に濁り座はつて居る。中腹から上ぼ若松が並んで、天氣の都合でホワイトを多く含んだ緑色を示して居る。下に黄色を多分に有った枯草が奇麗に包んで居る。一寸ものに成り相だから始めることにした。
 輪廓を終る迄は、歩行した勢で稍我慢も出來たが、着色にかかつた頃は、足の爪先から手先と言つた順序に小振動を始め、途に全身に及んで來た。「既に我が事止ぬる哉」と言ふ文句は恐らくこんな場合に間に合ふ逃げ道で、堕落に進む一里塚だ。進むことを知つて退くことを知らぬ青年は矢鱈に使用したがるもので、失敗の時でも、失意の時ても、叱られた時ても、忍耐力の續かぬ時でも、殆んど口癖の樣だ。今しも例の文句を捻りつゝ筆を投げ入れんとして、カバンの隔板を引き明けた。後の方で「駄目だ駄目だ」と言ふ聲がある。、確かに覺えのある聲で、何でも鎌倉講習の際、江の島行の電車がこみあつたから一行の者我れ先にと爭を始めた事があつた。するとおもむろに、「年の瀬か、身長の順か、色の黒い順か、此の三の中で選まう」と言はれた人があつた。今聞いた聲は此の人に其の儘であるから振り返りて見ると間違もなく大下先生である。不思議と言ふよりは寧ろ驚いた。あはてざまに筆を振つていきなり始めた。すると先生が懇ろに教えて呉れる、「君の繪の色は乾燥する。此の水に何だかひゞ割れ相だ。畫面をこする形蹟が見える、どうも宜しくない。繪の具はこすり着けるのでなべ置いて逃げるのだ。ぼかすと乾くからこんな癖は早減捨てよ。關西の男が繪筆を甞める傾があつてよくない。多く自然を見て少く描け。時時眼を他に移せ、若しさうでないと、最初の感じを最後迄持續する事が出來ない。全體を見て局部を見るな。光線の府を見附けぬから調子が整はぬ。小刀細工は調子に負傷させる。自然物には單純な色がない、松葉や草の綠は繪の具の綠其の儘で出ると思つたら間違だ。其處をごまかしたから自然の感じを夫つた。其處は講義録を暗記して居て色を使つたから自然物と違った。白分の頭で色を製造しては起らぬ。もつと忠實に寫せ。汗水で溶いた繪具で描いた夏の景は活動して居る。氷を割つて描いた雪の景には生命がある。彌次られおほせば彌次られぬ畫が出來る。笑はれ盡せば笑はれぬ畫が出來る。失敗だと思つでも中途で止めてはならぬ、最後迄やり通せ」と連發される詞に勵まされ、約三時間の後には大體纒りが着いた。調子の修正も出來た。尚ほ御指導のあることゝ思つて、待つて居たが何も無い。不思議なるかなと顧みれば、彌太君の一人も居ない。唯だ膚をつんざく烈風はをやみも無く襲來して居る。全身急に小振動を始めた。あゝ夢であったかとつぶやきながら筆を投げ入れると、その底から手札形の紙に「日本水彩畫會々員」と記した守りが現れた。是れは去る鎌倉講習の際、要塞地帯内で若し咎めを受けた時辯解の證として貰つたのである。何も田舎の彌次を威す野心もないのだが、其の後先生の名代として箱を放した事がない。若し此の札に眼が觸れると、以前の如き感想がむらむらと湧いて來て、ごまかすなどは絶對的に出來なくなるのは常である。あゝ畫に志のある輩は必ず一度は講習に行くべしだと思ひつゝ畫板を擔いで、歸る時の愉快さは、叉格別のもので恐らく此の道樂を有たぬ人には解るまいと思ふ。

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