寄書 春の一日
華洋
『みづゑ』第七十四
明治44年4月3日
好く晴れた微かな風の吹く暖い日であつた。靜と讀書して房るのが惜しい樣な氣がしたので、何か寫生をと三脚片毛に友のT君を誘つた、何所も何所も一體に淡い霞が棚引いて快よい夢の樣な色で塗られて居た。紅の花綠の麥、其所か一面に咲いて居る菜の花、何を見ても皆春らしかつた。
途々水繪の版畫や、石川先生の言はれるスケツチ畫法の事など色々話して歩いた。
美しい小鳥は白い花の梢にチヽと鳴いて居た、暖いポカポカし一た日に照されてウツトリ燃えたつやうな若草の道を辿つた。何時の間にか目的の所へ着いてゐた。そこは菅公様の御宮だつた。
深い深い藍色の乳を含むだ空、枝の垂れた目も覺る計りの櫻、手洗所の汚れた白い青い下げ手拭、參詣の人々、それらの調和がいかにも長閑な日永な感じを現して居た。早速イーゼルをひろげた。櫻の色が空よりも沈みさうになつて大變六ケしかつた畫には大燈の調子を忘れてはならいと思つた。眞面目に二時間餘り筆を運んだ。友の畫も出來上つた。それから亦枯葉の残つた松の米を寫した。
日足の大分傾いた頃ソツソツと吹く風に送られて歸つて來た。家々には燈火がつひて居た。