寄書 三脚の最後
三脚の一頭
『みづゑ』第七十四
明治44年4月3日
代名詞に付ては、物知の大下先生の三脚君が云つてあるから猿ではないが、まねをしてをく。
僕は大下先生の三脚君よりも後に生れた丈け經驗も淺い。けれどもまだ新らしいからキレイだ。野外へ持出されて足に土が付たと、主人はキレイにぬぐつて床の間へ畫架と一緒に立てる。
一體僕の處は鐵道線路の近くにあるので十分間ごとにピー、ガタガタと汽車が通る、僕は汽車が大嫌だ。何故?何故つてあの爲には足を折られて不具にされたからさ。マァ聞き玉へ。
日は忘れたが日曜日だつた。自炊の氣樂な主人は、朝飯が濟むと大きなにぎり飯を二ツ、今日もお供だなと思つて居ると、棚から八ッ切の畫板を出す。之は昨夜水貼してをいたのだ。仕度がすむと蟹色に燒けたにぎり飯を袋に入れる。蟹とにぎり飯は縁がある。僕の主人は悧公だから、中々柿の種位とは交換せぬよ。たつた二ツと云へ共主人に取つては山海の珍味より勝る事萬々、戰地に於ける糧食それの如しかね。
田舎の方へ行くと今は稻刈の盛りだ、主人は鐵道線路をつたふて行く。近いからであらろが此はあまり難有くないね、然し聲は出ぬ、身體は縛られて居るのだから如何も仕方がない。やがて下された、好い處が有つたのだなと思つて見ると、近景は稻田中景は農家遠景は森と藁たばた、下へ下りて見る、地平線が低くいかぬと思つたか又上つて來て、到頭線路の堤の上に据ゑられた。氣が氣ぢやない嫌な汽車が來たらと思ふと恐しくてたまらぬ。主人はそんな事には一切お關へなし、ビタビタと筆を振つて居る。少時すると嫌に暖くなつて來たと思ふとブーンと臭氣が鼻を突く、失敬な、主人は今朝芋を食つて來たたゝりで一つやつたのだ臭ッと思つて居ると又一ッ來た。主人は立つて行つた、便所なだと思つて居ると鐵橋の下へ行く水筒を持つて居るので水吸だと分つた。と思ふ間に大變な事が出來た。エライ音がするのと共に汽車が突進して來る。何が故扨ほえる犬位なら大丈夫だが汽車では迚も敵はないまして主人は居らぬし動く事は出來ぬので覺悟をきめて居ると動揺した身體にパツタリ横樣に倒れた其時だ!!!耳が聾になる樣な音と共に汽車は僕の上ヘ――それからは無我無中。
主人に助けられ我にかへつた時は頭ばかりのあはれな姿は疊の上に置かれてあつた主人の顔にも悲しそうな色が見えた。
先づ大體こんな物さ。それからと云ふもの、汽車が通る度に其の時の事を思ひ出して身振ひがするよ、不具な身故今では棚の隅に上げられて、今にも鼠の餌食になるかも知れぬ。
外にも僕の樣な――迄もなく一本折れて役に立たぬ人、否三脚が少くなかろうと思ふ。是等の爲に一ツ大下先生の老三脚君に御願して、水彩畫會研究所の一部に「三脚廢兵院」でも作つて貰つて氣樂に一生を送らうと思ふが、同感の三脚君は來月號で知らしてくれ玉へ。(十一月十七日稿)