寄書 炭坑地より

TK生
『みづゑ』第七十四
明治44年4月3日

 T君と僕とは日曜の寫生友達である、今日は工業學校のC先生も一緒に行く事に約束して置いた、M君もC先生が行くならと云つて連てれに加はる、今日の寫生は常になく賑やかだ。霜の烈しい朝ではあるが風が無いので十時頃は大變暖かくなつた、霜解け道をバチャバチャと製作工場の裏手を歩く、澄んで居るべき朝の空氣も最早や煙と炭の粉で濁つて居る、洗濯場の異様な建物は黒煤つて屋根には炭の粉が積んで居る、赤煉瓦の大きな煙突からは赤黒い煙が盛んに吐き出されて居る、炭坑鐵道の汽車はピーピーと長く汽笛を鳴らして緩く走つて居る、コークス工場の密閉された窯は隙から赤い火焔の舌をベロベロと吐き出して居るや高い櫓の下には坑夫や炭を入れたケージが絶えず何百尺かの地獄に出入して居る。僕も一度はこの地獄に入つたことがある、地獄に入る時の心持!それは實に何とも云へぬ程恐ろしい嫌なものだ、ケージに入ると間もなく天地が眞暗になつて足が浮いて踏む處が無くなる、恰度深い井戸に飛び込んだ樣な心持だ、目を瞑つてケージの縄をしつかり握つて居ると落下が益急になつてゴーッと昔を立てゝ下る樣になると反對に昇る様な心持がする、下から寒い風が吹き上げて物悽い事夥しい、坑底に着くと電燈が目映しく輝いて居るので漸く生きた心地がする。
 工業地の常として此の町は家も木も人も總てが黒く煤つて居て色と云ふものは少しも見出せない。新來の人には恐ろしい様な炭坑地の光景を我々は平氣で通り過ぎて、諏訪川と云ふ可なり大きな川を渡り笹の多い土堤を川に沿ふて上る。M君が先づ三脚を据へた、續いてC先生が川中の砂原の上に畫架を立てた、少し上つてT君も描き出した、僕は川沿に土堤を四五丁も上つて漸く場所を見出した。
 遠景の山は小代山であろう、川原の砂を前景として美しい緑色の松を描いた、意外に早く出來上つたので急いて土堤を下つたが三人の友は影も見ゑぬ。まだ早いのにもう歸つたのか知らんと思つて遊んで居る小供に聞いたら、とくに彼處へ行つたと云ふ。三人に残されて淋しい氣持になつたが。一枚の繪が出來た愉快な心持とを交る交る胸に浮べながら一人トボトボと炭坑の町を歩いた。(十二月十八日)

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