寄書 衛星上から見たる水彩畫

深澤信子
『みづゑ』第七十四
明治44年4月3日

 題はなかなか立派だが、文章は下手で意味もまるで違つて居るだろうが、之れは自分一人の意見であるから、こいつが何を言ふと思つて讀んでもらひたい、
 私は靜岡市から東方へ風そ一里の片田舎に育つた者で、生れつき身體が弱くて、頭痛腹痛は常であつた。私が水彩畫に熱心したのは丁度高等を卒業してから間もない事で、それから以後と言へば春は霞たなびく河畔に櫻を寫し、又は廣く野原に咲き亂るゝ菜種を寫生し、夏に至れば休暇を利用して、海岸に遊び、秋は紅ゐ匂ふ深山に行き冬來れば雪を樂しみ、實に一年を面白く過す。
 或る時家人自分に向つて『お前は一昨年頃迄毎日毎日頭が痛いとか腹が痛いとか言つて居たのに、此の頃は大いさう身體が丈夫になつたなアー。』と言はれた。
  之れを聞いて、私しは初めて此の水彩畫の價値を知つた。思へば實に高等卒業以來此の方病氣にかかつた事がない。私の身體のこの樣になつたのも皆この水彩畫の爲め――あまり嬉しい餘りに――。

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