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『みづゑ』第七十四
明治44年4月3日

□前號に一寸お斷り申て置た通り、本月號は編者の都合で發行が遅れた、五月號は定斯に出せることゝ思ふ。併し太平洋畫會の水彩畫評を入れることになると、やはり數日間遅れるかも知れず。
□毎月三日發行であつても、是迄は出來るだけ早く出すやうにしてゐた、然るに近來は、田中寫眞製版所で原色版の需要が多くなつたので、少しく製版が遲れたり、また本文の印刷所たる秀英舎でも、以前のやうに早く出來なくなつた、本誌の紙數が幾分が増したためでもあるが、校正に再校迄見るのだから、あまり秀英舎を責められない。月末から月始は、製本所が非常に混雜する。それや是やで定期に出すのが困難な時もある。また定期に出來ても發送のため一日はかゝる、郵便局から集め來てくれる時間もある、結局地方讀者の手に入るのは一二日は遲れる。
□然るに、本誌か愛すること厚き讀者諸君のうちには、定期の發行日も忘れて、一日二日頃から頻々と催促状を發せられる、其御熱心には嬉しく感謝もするが、出來次第猶豫なく送る手筈になつてゐるのであるから、相應の時日だけは御待を願ひたし。
□本號は特に石版畫を多くして見た、編者の方では少々面倒ではあるが、時々はこんな雜誌も面白からうと思はれる。
□原色版『吉奈温泉』は十六切スケッチである。
□丸山氏は、差支ありて出發が遲れ、三月二十八日横濱出帆の丹波丸にて渡歐の途に上られた。
□太平洋畫會にては、四月二十二日から上野公園で展覽會を開く、今回は特別室を設け、瀬戸内海及び九州別府の寫生畫を陳列すべし。
□日本水彩畫會の成績展覽會は、來年水彩畫展覽會を開く計畫があるので本年は見合はすことにした。

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