妙高山の麓

大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ

汀鴎
『みづゑ』第七十五
明治44年5月3日

 夜十時上野發の汽車にて信濃柏原に向ふ。乘客多く、幾人か一等室へ廻されたり、夢成りがたし。
 七日晴
 三時頃東の空は白めり、汽車は碓水峠にかゝりて朝風寒し、溪間にうす紫せるは八汐の花ならむ、木々の梢は春なほ遠く、ひとり落葉松のみ目さむるごとき綠の色に染まれり。
 輕井澤に霜の白きを見、淺間に雪の残れるを見る。田中あたりは桃の花やゝ遅れたれど、八重の櫻はいま盛りなり、畑には変二三寸伸びて、菜の花ところどころに咲けり。
 長野の驛に賣る蜜柑一個五錢、こゝの辨當の味あしきこと全國一にもやと思はる。
 豐野あたりより東窓左に雪の山見ゆ、飯網にや黑姫にや、あまりに多ければ殘雪の趣きなし。
 朝の八時半柏原に着く、車を下りて野尻さしてゆく、雪に包まれたる妙高山は吾がゆく手に聳えたり、芝ところどころ生へたる廣きみち中にて山を寫す、細き白樺など松の間にまぢりて、深山に入りし心地のせられぬ。
 ゆくこと一里あまリ、野尻の湖見ゆ。日のかげ暖かき草原に三脚据へて、湖畔の杉をうつす。對岸の山には雪あり、麓はやゝ縁の色を帶びたり、水靜かにして舟一つだに浮ばす。すみれた?んぼゝみだ咲く野を、黄なる蝶の高く低く飛ぶも清閑なり』野尻の町に入る、櫻は咲けど桃も李も蕾かたし、草も綠ならねば春らしからず、野尻舘といふ名前のみいがめしき小さき宿屋に靴の紐ときぬ。
 宿の椽より湖を方を見る、班尾山に斑らに雪を戴きて高く湖面を壓せり。辨天島黑々と湖心にうかび、水は夕風に漣をたてたり、こなたの岸には鎭守の森にやあらん、形面白き杉の木立あリ、梢のあたりを烏群がり飛べり。
 店の方には道ゆく族人に、宿の人の泊りを勸むる聲すなリ、古き道中記に見し街道の旅籠や、そのおもげの偲ばれて、何とはなしに心淋し。
 夕飯に何もあげるものがないに、名物の蕎麥でもと、汁旨からぬを進められぬ。黑く粘り氣なき飯、辛くして臭き味噌汁、それには勝らむと思ひて三椀を代へぬ。
 主翁は語る、このあたりは雪が深く、平地でも四尺はありますオゴイス(鶯)はやつとこの頃啼き初めましたと。
 八日晴
 辨天島へゆき見むとて舟を求む、岸邊に繋がれたる一艘は、水や洩るらむ牛ば沈みたり、舟夫は桶もて酌み出し、いざ召せといふ、漕きゆくうちに沈みやせむ、といと危ふげなり。
 嶋はうち見たるより廣く、幾かゝへかある杉の老木數あまたあり。水に臨めるあたりは、槻の巨木生ひ茂りて、枝に葉なきこの頃も、下草くらく物悽かり。辨天の社は朽ちて傾きたれど、猶幾とせかの風雨には耐ふべし。人住まず獸居らねど、夏は蛇を見ること多しといふ。
 嶋を放れて南の岸に舟を捨て、春かすみ、朧ろに姿あらはす飯網の山をうつす。空の色曇れる日に似て暗らく、山の雪はわづかにそれと見分得るのみ、湖の水靜かに辨天島の影長く泛べり』町に近く、湖を前にして妙高の山を寫す。霞やゝ晴れたれど、遠樹の梢煙るがごとく、寫すに勞多かり。
 街道を田口さしてゆく。家々の軒には李の花白うさきて美はし、菜の花も今さかりなり、斑尾の山を遠景に寫生二枚、汽車にて越後關山にゆき、岡本といへるに宿かる。
 時早ければ近傍を見あるく。大なる社あり、裏の軒下には雪二三尺積れり。社の奧には杉林あり、折しも雪の妙高山は、沈まむとする日の光をうけつゝ、紅ゐに輝やき、黑き杉との對照極めて面白し、いそぎ一枚寫生す。春の日は永くはあれど、今日は朝より五枚のスケツチを得たり。
 早くより臥床に入る、雨戸なき窓の月に明るく、蛙の聲きこゆ。
 九日晴
 赤倉の温泉は、去年の出水に樋破れて、まだ湯は通はぬとなり妙高の麓には關の温泉あり、その奥には燕の温泉あり、四五里の程ときいて靴を草鞋に代へぬ。深林の間にある一筋の道を辿りつゝ、ゆくこと一里あまり、高原に出でたり、根曲竹多し、この笹の筍はこのあたりの名物なりといふ。
 右にも左にも、また前にも、雪の山を見つゝゆく。小松生へた?る原の中にも、處々雪は殘れり。關山を出でしより人に逢はず、淋しき這を、たゞあの黑きあたりが温泉にもやと歩みをいそぐ。
 道のやうやく細うなりゆくころ、地に雪を見たり。初めの程は、しとしとと上辷りして水を含むこと多かりしも、いくぱくもなく二寸三寸と量は增して、終には尺あまりもあらん、踏めば深く膝迄も隱れんとするなり、日の光りは鈍けれど、雪の白きは眼を射りて辛し。温泉に近く、松二三本たてるあたりに寫生す。
 やがて關に着き富山屋といふに荷を預け、更に燕温泉の方へと山に分け入る。宿に飼へる赭犬の跡をつけ來りて、氣味あしくもありウルサクもあり、終に石を投げて遠く去らしむ。
 山道の雪はいよいよ深くして、所々崖の崩れしもあり危險甚だし、燕へは往けぬと人の言ふに、妙高の中腹にある大杉を寫す、日は照せども、霧たちて、近き山々すらいと朧うなり、暖かなれば雪の表は融けて、下なる笹の跳ね返る音ものすごかり。
 宿に歸れば、よく喋べる小娘ありて、さきの犬よりも一層ウルさし、湯にゆかんとするに下駄を並べて、『東京のアンサンにこんな下駄で、これでも上等博覽會』など、『厄介な代物なるらし』湯槽は村の中程にありて、インヂアンレットを溶きしやうに赭く濁れり。夏ならでは微湯にして入りがたしといふ、今は風呂桶にくみ入れて、火もて湧すなり、病にはよ春かしらねど、あたりのさまの清からぬに早々にして去りぬ。
 夜に入つて宿の主人來リ語る、あの小娘の父ほどありて辯舌爽やかなり、日毎山に入リて鑛脈をさぐりつゝありといふ。
 この家の枕、高さ一尺、長さ二尺を越えたり。
 十日 晴
 昨日の道を關山へ歸る。途中寫生二枚、雪の山の近春は寫すに難かり。關山のほとり木挽小屋を寫す。家の前には李の花さき、家の後ろには杉の森あり、苗場あたりと覺しき雪の山は、その背後に高く連れり。杣人は家よりいで來て、茶を召せと勸め、いと懇ろなり。
 岡本に暫時休み、汽車にて柏原に歸り、ふじの屋といふに宿かる。客あまたあり。一酒客曰ふ、洒飮まぬ人間は袋が小さい、酒は大聲を出して飮むものだ、大聲を出さぬ奴は惡黨だ、酒は默って飮むではマヅイ、食物は隱れて食つてはマヅイと、勝手な議論に近處迷惑甚だし。
 十一日曇
 柏原のほとりを寫生す。野にはキンポーゲあまた咲けり、腰すへて寫し居る時、郵便配達來りて、輪廓の初めより仕上に迄、二時間以上も去らず。暢氣なるかなと思ふ。
 小流あリ、堤ににアヅマ菊あまた咲けり。款冬の花、タンホ、の類も咲けり。遠く雪の山を見、近く花の香をきく、信越界の春は極樂とやいはまし。
 午後の汽車にて東京へ歸る。

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