寄書 九州聯合圖書展覽會を觀る
福岡の人
『みづゑ』第七十五
明治44年5月3日
三月二十七日より三日間、佐賀師範學校に於て九州聯合圖畫展覽會が開催された。今回は太平洋畫會、白馬會の作家の作品も出品されるとの事であつたので、展覽會の類はあまり觀たことのない私には、之が非常な幸福であつた。
私は二十七日に佐賀師範學校に行つた。小、中學校生徒の作品には一寸と眼を通したばかりで、參考品の室に入つた。第一に私の眼に止つたのは、大下先生の水彩畫、それから眞野、瀧澤、八木、寺田、水野諸先生の畫が列んで居る。之等の作品については、私等の喋々を要するまでもない、が此の田舎漢に痛切に感じた事は、其の作品の何れもが、此の複雜な自然を如何に大膽に觀て、之を如何に大膽に畫いてあつたと云ふ事である。成程、田舎者の筆はイヂヶてゐる、細さい處ばかりにコセコセして大體の調子を過つてゐる。私は此に於て大に得るところがあつた。そして之が大いに私た新しい希望を與へた。
大下先生の作品は唯一點であつた。湖の岸に美しい黄色を彩つた葉の木がある。遠山が紫色に湖の向ふに立つてゐる。眞野兜生數點。大部分は花瓶に色々の花の生けてある靜物畫であつた。其他スケッチも二三點見えた。花は相變らず得意なものであつた。其他の諸先生のは皆ワットマン四切のスケッチやスタデーで、各平均六七點、スケッテには面白いのが多ぐ、スタデーは益するところが多かつた。
それから、白馬會、太軍洋畫會の油繪が貮拾點以上、大作も大分見えた。美術學校出品の日本畫もあつた。私は唯感嘆するのみで、之等の作品に就て言を發するだけの勇氣がなかつた。
私は四五時間會場に立つてゐた。觀覽者も多かつた。其人等の色々の批評も聞いた。そして午後の日の光の淡い時に會揚を出た。