太平洋畫會の水彩畫

大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ

大下藤次郎
『みづゑ』第七十六
明治44年6月3日

 出品は百八十程ある。見渡した處傑出した作もないが、屑も鮮ない、よく揃つてゐる。大體に於て、大家連が振はず、青年組の成績がよい。油繪に比して多少活氣が乏しい感もあるが、是は材料の相違より生する必然の結果であらう。
 第一室で、沼田喜雨太郎氏の『靜物』は、極めて親切なるもので、また一種のスタイルを示してゐる、物の配置や色の調和の上に多少の批難がないでもないが、他と異なつた描方に幾分の注意を拂はしめる。
 橋本廣三郎氏の作は近年よく見かける。此の作を見る時にいつも感ずるのは、平板といふことである、奥行が無い、圖が締らない、『夕日の櫻』の如きも、樹幹などは可なりよく畫かれてあるが、物に遠近が少しもない、花も草も、遠方も近くも、同一調子同一色彩であるために、畫面は大きくとも、少しも廣々した心持が起らぬものである。
 夏目七策氏の四點は、取たてゝ佳いものを見ない。『大原海岸』の老翁の着物は物質が出てゐない、物質なんか構はない描き方なら咎めはしないが、顔は可なり綿密に畫いてゐるから、衣類もそれに調和すべく畫いてほしい。『雨の日』の人物はデッサンが怪しく、『靜物』は少しく描き過ぎてゐるし、『夕陽』は締りが足りない。要するに、氏は人物畫も靜物も風景も昨年よりは劣る、これは地方に引籠つた故であらうと思ふ。
 竹内久子嬢の作は、心持の上から言ふたら去年の『荒川の朝』の方がよい。『社頭の冬』は構圖も面白い、冬の感しも可なり出てゐた。
 吉田ふじを女史は今年は振はない、例の植物園の美はしい色彩を見ることが出來なかつた。
 坂本繁次郎氏の作は、小品ではあるが何かの印象を受ける。『家禽場の草原』は色の心持がよい、鶏は大き過はしまいか。『小蜆賣屋』は一種の匂ひがある。
 望月省三君の筆の達者なのには感服するが、まだまだ前途が近くはない、骨折つた『夕』の如きは失敗の作である。『秋』はよい感じであつた、桑の葉の描きかたなど大膽でゐてそしてよく感情が出てゐる、色彩に少しく錆があり過ぎはしまいか。
 中川八郎氏の作中では『柿干す家』と『新月』とが好きだ。氏の使ふ色は、華やかでありながら少しもイヤ味かない、筆も輕くどの繪にも何となく懐かしいやうな空氣に包まれてゐる、暖かな楡快な感じがあつてクセが無い。『巖頭の松』や『松島』や、『紅葉と渓流』など恐らくは、氏の得意の作ではあるない。
 松山忠三氏の作は、年々ヨゴレがとれて來て、『港』の小品の如きぼ面白いと思ふ。『田舎の家』は充實してゐない、今少し描いて欲しい。
 川上涼花氏の『細雨』はサッパリした氣持のよい繪である。
 吉崎勝氏の『晩春』は色の感じがよい。もつと大きなもので恁んな風に出來たらよからう。『石屋』は苦心の作だけあつて整つてはゐるが、面白味は欠けてゐる、添景人物は形がわるい、地面の色にも批難はあらう。
 後藤工志氏の『早稻田附近』は雲がよく描けてゐる、下の方は色が濁つてゐる。
 岡田武彦氏の『疲勞』は思ひ切つて煉瓦の處を暗くしたら面白いものにならう、穴を透しての日光ももつと充分利かして欲しかつた。
 眞野紀太郎氏の花は御手に入つたものだ、「薔薇の方がよい、薔薇の花がモット沈んで見えたらなほよからう、少し浮出過てゐるやうだ。
 赤城泰舒氏の作はとりどりに而白いが、何となく暗く力が足らないやうだ。『夏のある朝』は柔らな出來である。『梅雨ごろ』は、空に出てゐる銀杏の樹をもちつと弱くしてほしいと思つた。『村の人口』の並木はよいが、前の水は失敗であらう。
 森脇英雄氏の靜物二點のうちでは『玉葱』が面白い、構圖は月並ではあるが無理がなくてよい、色調も穏やかである、所謂無難の作といふのであらう。
 吉田博氏の水繪は今年は少ない。『富士山頂』は大膽なシンプルな構圖が氣に入つた。『馬の稽古』ば、畫題だけ見ると乗馬の稽古のやうに思はれるが、馬の習作の事であつた、右の馬の前肢が少し短か過るといふた人がある、これはあまりモデルに接近した爲めであつたらう。
 藤島英輔氏の作の中には『雨氣』が一番よからう、他は甚しく出來が惡い。『漁舟』はやゝ佳作と思ふが、『秋夕』の如きは、氏の筆とは思はれない程劣つたものであつた。
 第二室の武田芳雄氏の『みかん』は、靜物畫中の佳作だと思ふ、構圖の大膽なばかりでなく、描き方もシンプルで新し味がある。
 相田寅彦氏はいつも美しい作を出す。今年の出品の中で『水道橋の夕』が群を抜いてゐる、此繪に氏の中で一番よいばかりでなく、場中の水彩畫を通じての佳作であらう。次は『朝』の一點で、右側の家がやゝ目立ち過るが、兎に角入念の面白い繪である。
 相田氏の繪を評する人の言に、繪が出來過てゐる、又は器用過る、又は力が足りぬと云ふ、何れも適評であらうと私は思ふ』篠原新三氏の作は一の特色を供へてゐる。『午後二時』の如き、明るい感じの繪に成功してゐる。『夕榮』も面白い處はあるが、前部が物足らない。
 八木定祐氏の中では、『冬の山』がよいと思ふ。日向の色と日蔭との調和に無理が無い。『雨のあと』は少し畫いた場處が廣過て、畫面に旨く折合はぬやうだ。
 瀧澤靜雄氏は、昨年から見ると大に進歩されたやうだ、たゞ少しく畫を拵へ過るやうな痕が見える、なるべく自然から來た感じを率直に現はすやうにしたい。大作『冬枯』に色が不愉快だ、『岩間の流水』は小刀細工が過ぎてゐる、『暮れゆく町』『山村の秋』の二點がよい。
 水野以文氏のうちでは『五月雨』の構圖が一寸變ってゐる。『夏の午後』は色が單調だ。氏の緑色と來ては毒々しい不愉快なもので、近來大にょくはなつたがまだクセがある、不透明の緑はよほど手際よくやらないと重くなるやうだ。
 中林?氏は昨年より劣るやうだ。『深山』は前景の草原に無意味なタッチが多い、色彩が強烈に過ぎて味ひが乏しい。榎本已之助氏の『春』は、無造作な筆だかどこか捨て難い處がある。
 鈴木錠吉氏の『大原八幡崎』は重苦しいイヤ味のあるものだ。水彩畫に不透明な繪具を無暗に使用することは、よほど考へものだと思ふ、繪に氣品もなくなり、幽玄の趣もなくなる。
 渡邊六郎氏の『木場町』は、大膽な構圖が眼を惹くが、繪は巧でない、『初夏』は惡くない繪だが、内容が充實してゐない、詰り畫き足りないのである。
 大橋正堯氏のうちでは『冬の山家』が一番快よく感じだ、どうも繪が少しドライではあるまいか、紅い躑躅を畫いたものは何れも重苦しい、色も快よくない。
 寺田季一氏の暖かい色の繪の前に立つと、非常に愉快な心持になる、氏は此方面に力を入れて研究したらよからう、『夕日』は其中でも出來がよいやうだ。
 吉田豊氏はまだ物足らぬ點が多い、一層勉強して貰ひたい、『初秋の流』が一番よく纒まつてゐた。
 瀬戸内海の室には、小杉未醒氏の水彩畫と鉛筆淡彩がある、とりどりに面白い。『高濱港』、『高松紙すき』、『多度津の夕暮』、『今治港』など、欲しいと思つた。氏の構圖は幾分漫畫的で、統一に缺ける處があり、平面的で奥行のあるものが少ないが、色調の上に言はれぬ面白味かある、本年を初めとして爾後年々水彩畫の作を見せて貰ひたい。
 河合新藏氏は、小豆島の作二點を出されてゐる、繪が幾分か輕くなつて頼りないやうな心持がある、關西の空氣が然らしむるのか知らぬが、今年の作は決して良いものではない。
 此室には吉田氏の水彩畫もある、『老杉洞』は強い色彩で、岩の意味はよく出てゐる。『餘島の一角』は私は好まない。『西谷眺望』は色は暗いが組立が面白い、繪は小さくとも大きな感じが現はれてる。

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