通信


『みづゑ』第七十六
明治44年6月3日

 私は昨年の三月『みづゑ』を初めて手にしまして同時に研究所の別科へ入學しました極めて初學の者でございます。僅か一年間それも日曜だけの誠に淺い研究でございますが得る所の多いのに心から嬉しく感じました。青い麥の間に菜の花交りて畷の末に白帆が霞み彼方の茅屋に桃の一株紅を點じ撥釣瓶は音もなく蝶々二つ東風吹く中を狂ふが如き長閑なる春の景色、又は新緑滴る夏の朝、萬象金色を彩る秋の夕陽等かうした郊外にたまたま一日を繰合せ三脚とスツケツチ箱を携へて自然と親しむ其時の愉快さは實に無限でございます。假令其畫は拙なるにもせよ受くる所の利益はひとり技術の進歩のみに止まりません。吾々誘惑に陥りやすき靑年期に斯の如き良好な娯樂を味ふ事を得たのは實に先生の賜と存じまして失禮をも顧みず茲に禿筆を舐つて御禮を申し上げた次第でございます。終りに臨みて謹で先生の健康を祝し研究所の發展を祈ります。不備
  四十四年四月十五日 別科生小林喜太郎

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