個人展覽會

大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ

大下藤次郎
『みづゑ』第七十七
明治44年7月3日

 近ごろ、吾國でも個人展覽會が?々催されるやうになって來た、これは洵に喜ばしい現象である。個人展覽會の利益は、澤山あるが、第一に其製作品を觀者に充分味はつて貰へる事で、多數の人の種々なる製作の中に在ては、其隣接して懸けられたる他人の畫によつて害を受くることもあり、(時として利益になる場合もあれど)また自己に都合よき光線の場處に繪を置くといふやうな事も出來ず、自分の繪と會場のバツク等の調和も勝手に出來ず、從つて繪と會場との統一を得ることも困難な譯であるが、單獨で開く場合には、それ等の心配が無い、其上會場さへあれば、手輕に幾度でも開催することも出來るのである。併し利のある處には害の伴ふもので、個人展覽會に在つては、自己の作と他人の作とを比較研究することが出來ない、若し公開的の團體展覽會に少しも出品せずして、個人展覽會のみ催ふして居つたなら、自己の短所を見出すことが出來ないために、必ず退歩するであらう。次には、觀覧者の少ないことで、多く人を集めやうといふのには、廣告も盛んにしたり、通知も澤山出なねばならぬ、從つて費用が割合に澤山かゝる。
 個人展覽會は、其目的によつて幾種にも分れて居る。第一、新しき研究の結果を發表せんために開くもの、第二、大旅行等より歸りて其間の製作を世に示さんため、第三、賣上を目的とせるもの、第四、一年中の製作を集めたるもの、第五、多年の製作を集めたるもの、第六、故人の遺作等で、其中には一の展覽會に二種三種を含むだものもある。また以上を大別して公開的と私的に別つことが出來る。公開的といふのは、出來るだけ廣告をして、多數の人の觀覽を望むもので、私的といふのは、單に知友間に限られたる場合である。
 英のパルソンス氏は、先年日本に來遊した時スケッチした繪をニユーヨークのアメリカンギヤラリーで展覽會を開いて大半賣ってしまうたといふ。其後英國で畫いた美はしい花の繪を持つて來て、年々太平洋を越えて、此會場で展覽會を開いてゐる。アメリカンギヤラリーの場處代は、一週間千弗も拂はねばならぬからよほどの賣上があることゝ思はれる。
 アメリカでは澤山の個人展覽會を見た。大なるは其地のアートクラブやアートソサイテーの展覽會場で催ふされ、數の少ないのはアートストアの階上、又はホテルの一室などで開かれる、是等は單なる研究の發表といふ譯でなく、賣却が目的であるのは申迄もない。時としては彫刻のみのもあり、繪畫と彫刻と兼ねたのもあつた。
 ロンドンでも?々此種の會に出逢つた。ある嬬人畫家がアルプス旅行から歸つて、數十枚の小さな繪を並べたのも見た。普通は入場料を取らぬやうだか、此時はたしか一シルリング拂つたやうに覺えてゐる。ある種の個人展覽會、特に故人の遺作を集めた場合には、多くは立派なカタログが出來る。極めて贅を盡したものて、一册一ギニー位ゐの高價なものがある、これは部數を限り番號を附して、好事家の珍藏品となるのである。
 丁度ローヤルアカデミーの開かるゝ一月程前に、ある英國畫家から招かれて、其畫室に於て開かれた個人展覽會に臨むだことがある。此展覽會の目的は、澤山の自作のうちから、其年のアカデミーに出品する繪を知友の意見によつて撰定するので、招かれた人々の中には、鑑査官も澤山あるから、これがよからうと極まつた繪は、大てい通過するので、いはゝ下試驗のやうなものである。
 馬車を下りて門を入ると、草花の植はつたガーデンの中を、細い一筋の道があつて畫室に續いてゐた。主人の畫伯は、その頃流行した琥珀色の變りチヨツキに、黒の背廣、洒落た風をして、客の間を周旋してゐた。繪は天井の高い畫室に、一面に懸けられてある、額縁に入つてゐないのも多い、大きな製作やら、旅行先のスケッチもある、十五六人の客はそれぞれ批評をしてゐた。奥の食堂にはマダムが控へてゐて、お茶よお菓子よ果物よと、笑をたゞへて客をもてなしてゐた。此室には主人愛藏の古畫が幾面か懸つてゐた。
 此畫室で見たうちの人物畫の二貼は、其後ローヤルアカデミーの展覽會で、再びお目にかゝつた。
 大畫家の畫室は、常に一の個人展覽會會場とも云へる。人によつては、仕事場と客を導く所謂畫室と二つ持つてゐる。仕事場は目立たぬ色で全部塗つて、室内も簡單な仕掛になつてゐる、畫きかけの繪や參考品はピンで壁に貼つてあるが、客を導く畫室は、粧飾も華美ではないが、金がかゝつてゐる、立派な大きな畫架には出來上つたばかりの畫が置てある、其人一代の傑作で、手許にあるものは皆夫々額縁に入つて程よく並むでゐる、此室に入れば、少くとも其人の數年間の製作を一時に見ることが出來るのである。
 いま東京で、西洋畫の個人展覽會を催ふすに足るべき會場は、ひとり新橋の吾樂殿あるのみである、青年會館、帝國ホテル、交詢社等で、曾て開かれたこともあつたが、何れも壁が白かつたり、光線が悪かつたり、陳列に不便であつたりして、理想的でない。吾樂殿も少し狭いが、小品の陳列には適してゐやう。
 個人展覽會は、其繪の作者の知人叉は、其名を知てゐる人が多く來るので、觀者と作者との親しみがある。作者自身も、其作品が多數の中に混つてゐるのと異ふから、其製作には一層責任を感ずる譯である。今や此種の會が、東京で續々開かるゝ傾向があるが、進むでは、地方にも及ぼして、美術趣味普及の一の手段に用ひたいものである。

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