寄書 寝話小話

横田塔村生
『みづゑ』第七十七
明治44年7月3日

○『みづゑ』瀬戸内海の巻は、近版の十人寫生旅行と同樣、近來得難き册子である。
  ○瀬戸内海の一部は僕も渡鮮する時車窓より眺望したか、海からの風光は見たことがない、風景の好いのは小學校に在る時より聞いて居た、矢張繪心があつたからであらう、而し僕の車窓眺望では満足が出來なかつた。
○今回愛する『みづゑ』が特別號として發刊されたので、僕は嬉くてたまらない、無趣味の朝鮮にありても眼前にあの風景を見る事が出來だやうである。
  ○日本の天然の大公園と、又世界の公園よと呼ばれ、日と共に不朽の名を高めて居る。余は日光に遊びしことあり。
○瀬戸内海の風景が、我國第一流の畫伯諸先生に、廣く世に紹介されしは、僕の非常に滿足する處である。
○ヴェニスの水景や、地中海の孤島、スイッルのゼネバ湖畔か好いとしても、我が瀬戸内海に及ぶ所ではあるまい。
○風景がよいと共に、まだ『みづゑ』の特別號が非常に好い、大下先生の文章は明瞭で、雜々たるものでなく、處女の樣な心地のよい案内的紀行文で、僕は輕く讀み通したのを、先生の力であると思ふ、之れに風景畫の三色原版が挿入であるので、先生と同行して旅する様な氣で談むだ。
○本誌で、唯僕の残念に思ふのは、大下先生の申された通り、諸先生の三色原版の入らぬ事である、而し之れも思ふ樣にならぬのが浮世であるから。
○あの本誌にあつた、津田の松原、多度津の硯岡山古城趾の繪は好かつた、春の澄み渡つた海には、三四の白帆が見える、空には薄い薄い繪の様な雲が浮いて居て、見てゐる程神秘的になつて來る。
○文章の中で面白いのは、例の彌次り屋の未醒先生である。あの琴平の石段を二段づゝ上つたのなどは、先生の心意氣が表現されて居る。
○寫眞版の、吉田滿谷の先生の温泉は好い、僕は温泉に行つたらモデル料いらずのテツザンが出來ると思つた。
○前回、先生等の小豆島寫生旅行は、大阪毎日の紙上で見て面白ろかつた。
○繪、書、文章は、作者の人格の現はれるものである、作者の心に濁があつたら、晴々した作は出來ない、だから藝術家はわけても心は神聖に保たれたい。
  ○三脚物語を讀んで、洋畫の日本に渡來した頃より、今を或る作にすると、小山先生等の不同社設立時代が鉛筆畫である、輪かくである、現今が出來て來た、未成品である。
○終りに一言す、一度は我が朝鮮にも御來渡ありて、廢れて居る城壁殿閣を描かれんことを希望するのである。(六月六日夜)
 

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