寄書 大沼公園寫生紀行
兒島虎太郎
『みづゑ』第七十七
明治44年7月3日
五月十日晴天。午前七時遠來の珍客M君に北海道の大公園大沼を紹介すべく、M君K君僕同行三人、函舘發の一番列車の客となつた、虎が内地下んだりの田村丸の連絡客のため各車共滿員で、多くの客は立ん坊となつたが、繪を學ぶ徳だらう、僕等には三脚樣が有るので御蔭で助かつた。桔梗驛をすぎ七重驛に着いたら、梅桃櫻等が咲き香ひ、ヱメラルドの野菜の花などが美くしく、いろいろの花の一時に咲く樣は、僕等の地方では見られぬとM君は感心する。其の内に汽車が本郷驛に着したので、江差や大野に行く人々は圓太郎馬車に乗りかへるので下車したために余等はベンチの人となつた。本郷驛より汽車は登りとなりた、峠を進行中、遠く南に汽船の煤煙に包まれた函舘の臥牛山が、夢の樣に車?から見えた。其の内にトン子ルに入り、約五分間はダンマリで、明りくなつたと思ふたら、我汽車は洋々たる大沼の中を走つて居つた、北には焼石の、ライトレツドに光る渡島富士の駒ケ岳を見て、函舘を發して約一時間、我が汽車は大沼騨に停車した。大沼大沼と驛夫の聲に、余等と共に車外にハキ出された人は澤山有つた。大沼は周回八里で、北に剣の如き駒ヶ岳を望み、大小三百の島嶼は松島の樣で有る、余等はセバットと云ふ處で、二三の島を前景に例の富士を寫すべく草原に三脚を下ろした。H君は大沼は人工的だねと云ひ筆を取つて居た。僕も一生懸命に書いた。繪の八分通り出來た頃、M君の足下でガサガサ云ふので、皆の視線がM君の足下を見た時、三尺餘りも有らうと云ふ蛇がニウーとも、云はず出たので、M君は飛上つたが、蛇先生も其の聲に驚いたか沼の中へ泳ぎ出したが一時は皆々へ印には顔色なくパッグ的で有つた。大沼の絶景を呈するは秋で、萬島の紅葉が赤く水に寫る時で有る。中食に龜の湯温泉宿に引上げ、食後舟で鮒釣りと出かけ、數尾を釣り、三時より市街の寫生に行き、龜の湯に歸つたは四時で、手釣の鮒で夕食は叉何とも云はれぬ。食後又候夕陽を寫すべく三脚を手にプラプラ出かけたが、沼畔の夕陽を一枚づゝ仕上げ、歸路所々を見物し、宿に歸へつたら早七時で、數行の雁の月下を飛行する様は秋の様で有つた。