問に答ふ
『みづゑ』第七十七
明治44年7月3日
■一 鉛筆畫の出來上りし一部分を消して畫きかへるは惡しきことにや二 カルトンの販賣處及價格三 洋畫紙の缺點
四東京にて研究所に入り研究するに下宿料其他一切一ヶ年何程を要するや(SM生)◎一 一部分の修正をしたといふことが明らかに分らぬ位ひ手際よくやれるなら差支はない二 東京の文房堂及竹見屋にあり、一個六十五銭なり、東京洋畫材料供給會に依頼せば多少の割引あるべし、但カルトンは荷造に費用を要し、叉形大なるため小包郵便で送ることが出來ぬから、それ等の費用を思へば地方で畫板を作らせた方が利益であらう、三何の事か分らぬ、若し洋畫紙に水彩を畫く時の缺點を知りたいといふのなら、色の純白でない事、繪具の舒びの惡しきこと、洗ふことが出來ぬ等、重なるもの四 所費及消耗品其他にて研究費用は二圓五十銭、自分の小遣二圓、下宿料普通十圓程ゆへ、倹約して一ヶ月拾五圓を要すべし、自炊すれば幾分か安くならう■文部省展覽會へ遠地から出品する手續を知りたし(玄海洋生)◎毎年九月頃になると出品規則が出るから、それに準じて文部省へ願書の雛形を請求し、其願書を開會前に出し、規定の日迄に現品を送ればよいが、地方に在ては閉會後叉は不合格の際引取に困るから東京で代人を作つて置く方が便利である■夏期休暇中東京で洋畫を研究したいが何か方法ありや(栃木ノボル)◎赤坂溜池研究所にては夏中有志の研究會あれど敎師なし故初學者は出席しても益なからん個人としては夏は敎ゆる人なし■『みづゑ』四月號が十三日に、五月號が十八日に當地書店に着せし由、實際そんなに發行が遲れるのにや(自然子)◎特に前月に斷つて置た場合のほか、發行日より遲れた事なし、四月は前月にも云ふて置たのと、石版印刷の都合上八日に製本が出來、五月號は四月二十九日頃に發行したから、遠方の讀者でも五月三四日には手に入つた筈なり、六月號は五月三十日に出來た■雨を線をもつて現はすのにホワイトを用ひては如何(金葉★三)◎手段は構はぬ、雨の感じが出ればよい、併し其手段が悪しきため繪が下品になつたりしてはいけぬ、細い雨を一本々々線で現はすよりも、雨の形を畫かず、物の光りとか濡色で雨の感じを出した方がよい、夕立のやうな場合には、時に其畫を直線で調子をとつて畫くこともある、また濡れてゐる處を、小刀で削つて紙の地を出してもよい■クラシツクの意義、並びに何々派といふ種類を外國語にて知りたし(自然子)◎美術講話に『クラシツク』派の畫の組立は非常にくねつたもので、たとへていへば立つて居る人物があれば其傍には座つてゐるものが無くてはいかぬとか、直線があればそれを切る曲線がなければならぬといふやうに、畫が成立つてゐる』と書いてあるその通りで、建築で云へば堂宮のやうなもので行義がよい、規則立つた形式である。次に、傳奇派はロマンチスト、寫實派はリアリスト、自然派はナチラリスト、印象派はインプレツシヨニスト、外光派はフラネリスト、象徴派はシンポリストなど■油繪カンヴアスの番號の大いさを知りたし(横濱峯嶺)◎種類多くして一々擧げがたし、普通用ひるものでは副八號定尺一尺五寸に對し、人物は一尺二寸五分、風景は一尺二寸、海景は九寸。
十二號は定尺二尺に對し、人物一尺六寸五分、風景二尺五寸、海景一尺三寸五分。二十號は定尺二尺四寸に對し、人物二尺、風景一尺七寸五分、海景一尺六寸五分。五十號は定尺三尺八寸五分に對し、人物三尺、風景二尺六寸五分、海景二尺四寸。詳しくは彩料店、叉は額縁屋に問合はされよ■近頃の油繪に少しも艶なきは何の油を用ひるのにや(峯嶺)◎艶のあるのは艶油といふのを、畫が出來てよく乾いてから後に塗抹するためで、それば色彩の保存上古來より用ひ來りし形式なり、近來は艶油を用ひしため色彩に變化を來す事もあり、またテラテラ光るを嫌ひて、全く此種の油を用ひぬもの多くなれり、また描寫の際揮發性の油を用ふる時は艶が出ぬが、繪具の種類によりては全く光澤を取去ることは出來ぬ■日本水彩畫會々友となるに、何ヶ月分の誌代拂込を要するにや(未會友)◎一月分にても差支なし、たゞ中止した時も届出なく、半年を經過せし場合には退會と見倣す■一水彩畫で人物の髪の毛は油繪のやうにフワリと見えぬ、近景の草も同樣、いかなる故か二 風景寫生の時近景はどの邊迄入れてよいか三葉の面に小毛あるもの虎耳草の如きは一々點々と筆にて畫いては悪いといふがいかにせばよいか四 水彩畫で草や籠のやうな複雜な場處を畫くに、日向の色は一筆で略し暗き處を複雜にすればよいか(木下)◎一水彩畫でかいても、毛ても草でも其物らしく見える筈で、油繪と區別は無いが難易はある、そのやうな場合は、水彩畫では困難が伴ふ二 視角といふて、顏や目を動かさずに見られる範圍は六十度以内としてある、通例自分の足元から二三間の先を畫の底線としたならよからう三 植物の標本なら色を一々明らかに畫く事もあらうが、普通は極大タイに見て其感じが出ればよい四場合によつて一樣ならず、多く畫き多く經験して自から描法を發明したまへ。