靜物寫生の話[十六]

大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ

大下藤次郎
『みづゑ』第七十八
明治44年8月3日

△鉛筆畫をやつてゐる時は、一色畫を筆で描いたらうまく出來るだらうと思ふ。一色畫のうちは、彩色さへ施せばラクに物の感じが出るやうに思はれてならない。併しいよいよ彩色をするやうになつても中々容易に筆は動かない。
△鉛筆畫や一色畫を習ふ時分には、たゞ物の輪廓や濃淡だけでよかつたが、今度は其上に色彩といふものがある、單に色彩ばかり見て、形を忘れ濃淡に注意を拂はなかつたつたなら主その繪は到底纒まらぬ、一の色彩そのものには、形も濃淡も含むでは居るが、形や濃淡の充分畫きこなせる素養がなくては、たゞ色彩のみ眞を寫さうとしても目的は達せられない。
△赤く見える處だから赤い繪具を、青だから青色をと、たゞ考なしに繪具を着けても、モデルと同じ感じを畫面に出すことは出來ない。繪具には、其性質として、透明色、不透明色、又は半透明色といふ區別がある。また感じの上から、暖かい色、寒い色、中間色などの差もある。それ等の性質や感じの色が、適處に着けられた時、始めてモデルと同じゃうな現象を畫面に見ることが出來るのである。
△そればかりではない、色彩の配列方によつて、其繪具固有の色が、強くも弱くも、また明るくも暗くも、時としては殆ど別樣の感じにも現はれる。從つて色の配合といふ事が、新たに研究すべき問題になる。
△繪具の性質の上に於て區別せらるゝ、透明色不透明色半透明色といふのは何か、それは誰れでも紙へ繪具をつけて見れば分る、適度の濃さに繪具を白紙へ塗つて、紙の地が透けて見えるのは透明色、紙の地の隠れるのは不透明色で、中間に位ひするのが半透明色である。甲の色の上に乙の色を塗る時、其甲の色と乙の色と合して、ある異なつた色調が現はれる時、その乙の色は透明色である。また若し、下の繪具が隠れて上の繪具のみの發色であつたなら、それは不透明色であらう。
△黄赤靑といふ三原色のほか、複色でも、多くは透明と不透明の二種以上の繪具がある。黄ではガンポーヂやオーレオリン、インヂアンエローは透明色であつて、カドミユーム、クロームエロー、レモンエローの如きは不透明に屬してゐる。赤のうちではクリムゾンレーキ、力ーマイン、ローズマダー、ピンクマダーの如きは透明で、ヴアーミリオンは不透明である、ライトレツド、インヂアンレツドの如きは半透明に属してゐやう。靑ではインチゴー、プロシヤンブルー、ウルトラマリンの如き、またコバルトのある種は透明色で、コバルト並びにニユーブルーの如きは不透明である。勿論透明色でも濃く着彩すれは不透明と同樣になり、不透明色も淡く塗れば透明の感じはある、そして一度ホワイトを混ぜると、何れも不透明になる。また粗製の廉價な繪具類には、透明質であるべきもの迄も不透明になつてゐる。
△植物及動物性の繪具は、多く透明で、鑛物性は大テイ不透明で、感しが重いやうである。
△繪具の色の感じの上で區別さるゝ暖色(熱色ともいふ)寒色中間色といふのは、其文字の示す如く、發色の心持によつて名づけられるので、黄及赤に屬した色は、見ても愉快で温暖であるから、それ等を暖色といふ靑に屬した色は、見た處が冷たく陰氣であるから、それ等を寒色といふ、一方は積極的で他は消極的である。△單に赤とか黄とかいふても、見て暖かにばかりは感じない色もある、オレンヂの如きは如何なる場合でも暖色といへるが、黄でもレモンエローは稍や靑味を帯びて幾分冷やかな感じがある、クリムソンレーキもヴアーミリオンに較べたらよほど暖か味が少ない、靑のうちでもコバルトはインヂゴーよりは少しく暖か味がある、それで大タイから云ふと、透明色は暖色でも冷たい處があり、不透明色には寒色でも暖か味を含むでゐるといへやう。その何れにも定めかねるものが所謂中間色である。
△色の感じ及び性質の上に於て、更に硬い心持のと軟らかい心持の出るのとある、この區別も製作の上に必要である。概して透明色及寒色は、着けた處が硬くなり易い、不透明色と暖色とは和らかに見える、それ等は畫くべきものゝ色彩のみでなく、物質によつて適宜に應用し着色すべきである。
△色彩の配合といふのは、取分け最も大切な事である。これ等に關して詳しく説朋すると、一册の書物としても不足の位ひであるから、是は諸君が別に研究せられることゝして、爰には極大タイだけの話をしやう、そして諸君は書物によつで調べると同時に、盛んに寫生をして經驗を積み、應用の力を養はねばならぬ。
△自然界の色彩は極めて多樣ではあるが、此各種の色を産む原色を、通例黄赤靑の三つとしてある。その二つを合して出來た色は褐色であつて、黄と赤と合すと橙色が出來、赤と靑では紫色、靑と黄では緑色が出來る、そして赤に對しては、黄と靑ょり成りし緑、黄に對しては赤と靑より成りし紫、靑に封しては黄と赤より成りし橙色が反對色とよばれ、赤と紫とか、黄と橙とか、青と緑、又は赤と橙、黄と緑、靑と紫などを同感色といふのである、以下それ等の色の調和に就いて説明しやう。

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