寄書 寝前小言
横田塔村生
『みづゑ』第七十八
明治44年8月3日
○去る六月二十二日は大英國皇帝の戴冠式にして、倫敦人の夢想して居りし盛大なる祝、それは一大偉觀を呈せりとは新聞紙上にありし如く、我が朝鮮の古都にありても同盟國の帝王戴冠式なりとて、小學校生徒等の提灯行列は無邪氣に國歌を唄ひつゝ、英國頒事舘に入れり。又朝鮮人の行列もありで目出度祀日を送りたり。
〇大坂毎日新聞一万號附録として、吉田博氏の『初夏の富士』あり、余はいままでかゝる大なる繪に接したる事なく、繪は好きにても諸先生の肉筆物はいまだ一度たりとて見たるとなく、只小なる石版畫を見、寫眞版木版を見たる外なかりき、石版とてもかゝる大作は初めてである。
○彼の富士の繪は『初夏の富士』と云ふよりも『富士の夕』とした方が書題に適して居夢む、田子の浦より見たりとすれば、前面の松林は感じが薄い、然し富士は好く出來居たり、正に夕陽の没せんとして半天を紅に染めたる處、カラーは冨士の景としては好く現はれ居れり。
○余は幼少の時より富士を愛したり、又山岳を愛しぬ、余の家の家藏に應擧の走り書きの富士あり、其れに水戸志士の筆蹟ありたり、我家の祖は豪農にして、好く書畫を藏し、庭を作りなどして喜び居れり、然れども父の世に家財散じて古書畫まで賣られ、たゞ一つ彼の應擧の富士ありしなり、然し眞筆なるや否や不明なり。
○余は富士を愛す、余は洋畫日本畫寫眞木版の富土畫を集めて見しに、十五才の春より十九才の春までの内に新聞雜誌より切り取りしもの二百八十一枚、名々に趣きを異にし、皆好く作者の感じを現はせり。諸君此んな事はつまらぬ事であらんが、二三年も貯ヘて後ち見るのは實に面白い、アルパムにでもさして置けば一層美しく面白からん。
○朝鮮にも夏來り、木蔭の讀書寫生は愉快にして旦っ趣味あるなり、余一夕歩を門外に出して城壁を寫す。薰風來りて頬をなで快甚だし。
○余の諸先生を新聞雜誌紙上に於て知りたるは、大下先生の四十年、少年世界一月號の口繪よりなり、中村不折先生の矢張四十年(少年世界名家の少年時代にて)吉田先生の四十二年冬、丸山先生の四十一年夏、滿谷先生の四十二年、未醒先生の四十一年中川河合鹿子木外諸先生は大抵四十二年の秋冬の頃よりなり解散した白馬會の内にも五六人あり。大下先生はなんとしても古かりき、先生は敎育家としても一家を爲すと思ヘり。
六月二十九日夜稿