靜物寫生の話[十七]
大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ
大下藤次郎
『みづゑ』第七十九
明治44年9月3日
△靜物畫は、其構圖即ち形に於て新意を出し、人の注意を惹くを要すると同時に、明暗を巧みに應用して、強い濃淡又は弱い穏やかな調子の上に、繪の價値を高めねばならぬが、それにも增して必要なるは、實にその色彩である。
△鉛筆で描いた花、一色畫で寫した果物、それ等は形や濃淡の調子の上から、相應の快よさで見られないこともないが、花や果物の美觀を呈する理由が、其色彩にあることを知らば、實に色彩そのものは、静物畫の生命であると言ふても差支はあるまい。
△この故に、靜物寫生に於ては、色彩のについて充分に研究せねばならぬ、靜物畫に於てその研究が出來てゐると、他日風景寫生をなす時に、大に助となることは申迄もない。
△色に感じの上の寒暖硬軟、性質の上の透明不透明等の區別のあること。またあらゆる色彩も、単に三原色の混和に過ぎず、其混和されたる色彩には、相隣接する時、互に光彩を增す處の反對色があり、互に光彩を減ずる處の同感色があることをも前に述べた。
△反對色、又は補色といふのは、原色の黄に對する複色の紫、原色の赤に封する複色の緑、原色の青に封する複色の橙で、すべて其色より色調の遠ざかるものを言ふのである、白に對しては黒は反對色である、第一複色第二複色何れも同じ理由で、互に相反映して光彩を放つのである。
△同感色といふのは、其固有の色に近いものゝ隣接した場合であつて、赤に對する紫、黄に對する橙、青に對する緑といふやうに、相近き色の結合をいふのである。
△それで、色彩の應用は、それ等を適處に用ふることであつて、反對色の調和は積極的で壯美、直線的に男性的であつて、一面に幼稚とか野蠻とかいふ意味も含むでゐる。
△同感色は、これに反して消極的で、優美、曲緑的女性的であつて、老成とか文明とかいふ意味も含むでゐる。
△そのやうに、調和の上に區別があり、現象に相違があるのであるから、それを用ふる上に各々注意しなくてはならぬ、寫すべき材料が穏やかな柔らかい優美な感じのものなら、多く同感色を用ひて、纎巧な意味を現はすがよい。ホイッスラーの好むで用ゐる色などがそれで、茶と黒との對象とか、藍と銀の對象とか、また有名な白いバックに白衣の婦人の繪など、皆このゆき方でやつてゐるのである。また寫すべきものが強烈なものなら、反對色の應用のもとに其感じを出したらよい、印象派のある作品の如きはその例である。
△併し、いづれにしても、繪である以上は、あまりに一方に傾いてもいけぬ、赤き花紅き林檎を寫す時に、バックに緑の布を用ひたら、積極的で反對色はよく其効果を示して、林檎や花は美しくも見えやうが、布の色も同じく輝くので、主客の區別が分らなくなる。また同感色がよいからとて、青い表紙の書物に紫のバックでも、沈み過ぎて目的物が現はれない、要は、紅い鯛に緑の熊笹を添ヘるといふやうに、一枚の繪のうちに、僅かに反對色を置いて活氣を與へ、大部分は同感色で纏めるのがよいやうである。
△靜物畫には限らぬが、すべて繪は其主點、即ち目的物に近く鮮やかな色が見ゆるものであるから、赤黄青の原色、橙緑紫の複色の如きは、目的物に近く置くやうにしたい、若しそれ等の色を、其儘バックなり床なりに用ふる時は、畫かうと思つた物が隠れてしまう。またそれ等の色が目的物の大部分を占める時は、繪が野卑になり幼稚の感が起る。要は、原色若くは第一複色は、あまり多く用ふることなく、他の部分は調和された同感色で繪を作るやうにするのである。