偉大なる畫とは何

矢代幸雄抄譯
『みづゑ』第七十九
明治44年9月3日

 二、美を愛求する事――眞實と矛盾せぬ範圍に於て出來る丈多くの美を其題目中に含有せしむる事が大美術の第二の要素をなすのである。例へ一群の人物を畫くとするに、勿論醜もあり惡もある事實を否定しやしないけれども、力のあらん限りは最も美しき姿を求むるのである、即事物の醜を見ずして勉めて其美點に目を注ぎ意を向けるのである、此點に於て美術の流派の高下の度は當に、其美をば理解し愛求する度合に正比例すると稱してよろしい。
 神聖美を好みて畫けるアンゼリコは此立脚地より見る時は當に最高位に置かる可くベロニーズ、コレヂオ等は、形體美肉體美を題目とせるより、第二位に、デユーレルやルーベンスを筆頭とせる北方諸國の畫家は、美醜を論外にして只眞實をのみ見たる故第三位と稱す可く、テニーエル、サルベートルを初め好んで醜を畫ける者に到つては當然番付以外に放り出さる可きものと思はれる。
 此美醜と云ふ點を土臺とするならば、高尚なる美術の堕落とは美を求むるに急にして眞を無視することであらふ、美の爲めに眞を犠牲に供する事にあらふ、大美術は美しい事實を捕つて之を畫いて居る、似而非美術は、醜なる事實を畧し、又は變更する。言葉を換ヘて云ふならば、大美術は有の儘の「自然」を畫いて只注意と思想を自然の中の美麗な、完全せる點に向けるのである、僞美術は、之が面倒くさいものだから自然を無視して、嫌だと思ふ所を、ドシドシ取除けたり變更したりするのである、此事は、以下の二つの悪結果を生ずる。
 第一、――醜や醜に近いものを除いてしまふと、美も其美しい本領を充分發輝する事は出來なくなる、何とならば、光ばかりあつて、其陰影を全く除いてしまうと主其光たる本領が表はれなくなるとを見ても解る、白い畫布を其儘見給ヘ、決して、日光の感じを表はすものではない、其を一方光らせて見せるには、畫家か筆を採つて、他方を暗く塗らなければならない、是と全く同樣の理由にて、徒に美を陳列した所で其の美の感じが出るものでない、其傍に、醜來って初めて美たる本領を發輝する事を得る、自然を研究して見ると大概の場合、光線と陰影に於て見る如く、優と劣と混ぜ合し、美と醜と交へて共々其特色を映照せしむる樣に出來て居る事を悟り、同時に陰影を故意に除去する畫家は、光輝點々たる砂漠を畫いても烈々たる感じを失ふて居る事を解するに相違ない、眞に高尚遒麗なる、アレガリコの作品は、月並な坊さんを眞正直に寫したり、餘り見よくもない風變りなる寺の模樣を並べたとによつて、其特色を幾層にも擧げて居るのだ、之と異つて、近代の、ドイツ派や、ラファイル前派の人々は、人形作りが、眉目よき顏を求むる樣に單簡に、其ばかりを探求して居るから畫の氣品も氣高さも棒に振つて、謂はゞ鼻筋が通つて、金髪が縮れて居ると云ふ外全く眞も誠も失つて居る樣な次第である、書家のベルニース、詩人の沙翁皆美醜優劣の對照を巧みに用ひ分けて居るのである、只如何はしい、所謂理想家連が「美」を客間の内に閉し込め、潔白を、尼寺の中に押し込んで得意がつて居る、彼等は稱して、自分等の題目の撰澤が精微であるの、情操が純清であるのと稱するが實際の所悪魔に對抗する勇氣なく、立ん坊を畫く氣力が無いのを知らないのである。
 第二、――美の眞の分量が解らなくなる、吾人は自然萬有のすべての物を忠實に寫す習慣を養成して後初めて美と醜とを眞に會得區別する事が出來るのである、醜を極めた物でも其中に美の要素は幾分供へて居るので、其美の要素は一般に其事物に特有なもので、其醜から離す事は出來ない、結局醜と一所に玩味せらるゝか又は双方共全く無視せらるゝか何れかである、畫家が有の儘の自然を味へば味ふ程、意外の邊に面白味を見出し醜と輕した所に美を認むる事がある、然し畫家にして、一たび其身の程を忘れて自然を忌避除去變更する權利ありと思ふに到れば、彼は最早お仕舞である、だんだんに其興味を感ずる範圍がせまくなり、終には自ら信じて高尚なる題目の撰擇となす所が實は知覺の狭少と云ふ事に過ぎぬ樣になってしまう、毎日朝から晩まで同一種類の概念に固執して居るものだから、其技術は突飛で病的なものとなつてしまう、末は、自分の捕へんと欲する所を忠實に顯す事すら難かしくなる、自分の畫にせんとする概念を是は嫌あれは嫌と嚴格に撰擇區別することも、全く馬鹿げた所作になつてしまう。
 是を以て見るに大美術は自然を「變更」するに存せず「改良」する所に存せず實にあらゆる自然を探求して愛す可く、純潔なる物を捜ね、之を愛好し、畫家の力の及ぶ限り此美を發輝せしめ、胸も躍るばかりの技能により、穏當なる擴大によつて觀者の思想をその方に向けしむるに存するのである、此事の如何なる程度まで成就し得るや否や、又、完全な畫を作らんが爲めに僞る事なくして如何なる程度まで最美の形状思想を聚集してかまはぬか、――是等の問題に就ては後に詳説する事として、目下は只次の言葉を記憶して居てくるれば足りる「美術の高下大小は、其に表はれたる畫家の美の愛好心の多寡に正比例するものである、但し此場合、此美を愛好する心は「眞」と全く牴觸してはならね」
 註――余は今や始めて、美と眞とを相對して用ひたから、此二つの性質の美術上の關係を明にして置き度い、普通世間で此二つを混同して顧みない事は殘念なことである、淺薄な人間は、博學を眩はん爲め、白明々な事柄を、まぎらはしくなし、實は自分がまごついて居るのを得意がつて居て仕方がないものだ、少し知つた振の人は今日、直きに「眞は美美は眞なり」等と云ふて諸君若し斯樣な事を云ふ奴に會ふたなら其不明を明にしてやり給ヘ、若し彼にして、其斷言を實際確信して居るならば爾來は此二つの言葉を同一に使はぬ樣に頼み給へ、本當の所、眞と美とは、随分關係はあるが、確然別々のものである、眞とは叙述の性質にして、美とは、物自身の性質である、二に二を加へて四になると云ふ叙述は眞ではあるが之を美醜を以て律する事は出來ぬ、何故と云ふに目に何等訴へないからである、ばらの花は美だが之を眞とも僞とも稱する事は能はぬ、其故は、何にも主張する所が無いからである、視覺に訴ヘるものにして初めて美醜あり、主張斷言する者にして初めて、眞、僞を容れる、其外眞、僞と云ふ二字も、人工で出來たものと、本物とに用ふる時には仲々正確ではない、實を云へば造花は、僞の花と云ふけれど、全く眞の花でも、僞の花でも何でもない、全く花以外のものである、僞は造花を花なりと稱する人に在るのだ。
 閑話休題、斯く云ふ理由だから、美術に關して眞とか僞とか云ヘるのは、只畫が事實の敘述として考ヘられた時丈に限られて居るのである、畫家が其畫いたものが犬なら犬、木なら木と主張すると、若し、其畫いた形體が犬らしくなく木らしくなかつたら、其畫家の敘述は僞なのである、故に此線は僞だ、此色は僞だと稱する事が出來る、其と云ふのは、其線なり、色なりが其自身僞なりと云ふのではなくて主其線や色やが實際似て居ないものに似て居ると叙述した場合に初めて僞りとなるのである、之と異つて、線なり色なりは何かの叙述主張と全然無關係に美である事が出來る、不正確ても美しき線あり、眞摯でも醜い線がある、日常生活の穢い所を忠實に畫き出したる畫が實に醜悪見るに忍びぬ場合もあり、色硝子窓にて、鷲の樣な顔の人間が居て、頭が青く尾が紅な犬が坐つて居る所でも非常に美しい事は有り得る(但し此は嚴正な意味にて僞の美術とは云へぬ、何故と云ふに此窓硝子畫は、人が鷲の顔を實際持つて居ると主張して居やしないからである)是無くんば、眞を犠牲にして美のみを發揚することは出來なくなつて、眞と美とは離す可らね樣になり一方を得れば隨て他方をも得ることになる、然るに何たる不幸な事であらふ、此眞の犠牲が非常に行はれ易いのは事實である、面して美の愛求に關して云ふならば、似而非美術の特徴は主として此點に存するのである、理由を云へば、たとへ眞、美、は互に獨立して居て分離せしむる事は出來るけれども、其だからと云ふて吾人は勝手に好きな方を目的として關はぬ理屈はない、實に眞美は離し得るが離すのは間違つて居る、眞と美とは其價値輕重如何に從ひて一所に求めねばならない、即第一に眞を求め美は此に次ぐのである、高尚なる美術が下等なるものと異る點は、眞が土臺となりて、其上に非常なる程度の美が加はる所であつて、決して眞と矛盾乖離せる美が澤山含まれて居る所に存しでは居らない。

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