松江にて
塔江
『みづゑ』第七十九
明治44年9月3日
會場の入口には、水彩畫講習會といふ大文字の札が出てゐる、會員もよほど集まつたらしく、書生下駄や、鼻緒のなまめかしい女の駒下駄などが、二十足ばかり脱き捨てゝある、新しい藁草履が縛つたまゝ、式臺に横はつてゐる。
右へ廊下をつき當つて、左へ最初の部屋が、男會員のため、其隣りは婦人會員のための休息所になつてゐて、其先は講師の室だ、中央に赤い裂けかゝつた卓があり、椅子が五六脚並むでゐる、卓上には尺大の岩付の松の盆栽が、凉しげに置れてある。
廊下を折れ曲ると、疊を敷いた廣い部屋がある、そこが講話室になつてゐる。
いつの間にか四五十人の會員は集まつた、髯の生へた嚴めしい先生らしい人もある、活發氣な昔年もある、無邪氣らしい少年も居る、髪の毛のダラリと下つた優さ男も居れば、色の眞黒けな蠻骨も居る、廂髪の一群は、隅の方に陣取つて靜まり返つてゐる。やがて、講師の細くして丈け高き姿は、講壇の前に運ばれた、そして一わたり場内を見廻した、同時に一同の視線は、期せずして彼の身邊に集まつたのである。(塔江)