三脚物語[第十回]

大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ

汀鴎
『みづゑ』第七十九
明治44年9月3日

 主人が戸外寫生を始めて以來、平素の病身は非常に壯健になつた。厭世的悲觀的冷眼的消極的の主人は、樂天樂觀温眼積極的になつた。體格は格別變らないが、性質は殆と別人のやうに活?になつて來た。家の中では、蛤貝外へ出れは蜆貝が、いつか傘のやうに、家では縮まつてゐても外では開くやうになつて來た。中丸塾へ初めて徃つた時、そこに居た人達は、主人の年齢を三十歳位ひに見てゐたが、いつ迄たつても年をとらなくなつた。青い顔色が黒くなり、軟かい骨が硬くなり、重い脚が輕くなつて丈夫になつて來た。これは一體誰れのお蔭だらう、といふと自慢のやうだが、僕樣だね、僕が無かつたら、主人も戸外寫生をやらなからう、從つていつ迄も青瓢簟のやうな顔をして年中ぶらぶらしてゐなければならないのだ。主人はよく健康の話になると、自分は寫生に徃くので丈夫になつたといふてゐる其通りだ、そして僕といふ便利なものが、主人の寫生行にどれ程預つて力があるか知れたものではない、恁むな風に考ヘて見ると、三脚といふものは、取りも直さず醫者の敵だね、その故か、醫者になる人でも、學生のうちは僕等と中がいゝが開業すると全く捨てゝ顧みない。
 二
 世間には衛生論が澤山あつて、種々な衛生法を説いてゐる、冷水摩擦、菜食論、骨食論、腹式呼吸、日光浴、砂浴、泥浴、海水浴、サンドーの體操に、柔道、撃劍、大弓、テニス、ボート野球と體育や衛生に關する卓論名説は數ヘきれない、何れもまことに結搆な事には相違あるまいが、まだ誰れも三脚衛生法を唱へたものが無い、自分の口から言ふては自畫自賛にあたるから、窃かに時運の廻轉を待つことにして、僕はこれから、所謂衛生法について少しく喋舌らして貰はう。
 冬は冷たい風にあたるな、西洋人は靴下をぬひても風をひく、風のある日には外出するなといふかと思ヘば、何でも積極的に寒風に對して抵抗力を強くしなけれはいけない、それには襟巻もするな、外國人のやうに、戸外で帽子を取つたから風邪になつたなんて、弱いことではいけぬ、相撲は冬でも裸體ではないかといふ、成程それもさうだといふので、主人も?らく冷水摩擦をやつた事がある、處が、こいつ中々面倒なもので、時間もかゝるし、旅行先では出來ず、鳥渡頭が痛いとか、寒氣がするといふては休む、其うち、ある醫者は、痩せてゐる人は爲さぬ方がよいといふたので、得たり待つてゐましたと言はぬばかりに、現金にも翌日から廢めてしまつた。僕公平に考ヘる、これは主人の意志の弱いはがりでなく、全く旅行を一度すると、後を續けるに困難になる、一寸考へると、旅行先でも出來さうなものだが、さうはゆかない、旅へ出ると、朝は素敵に早く出掛けることもあり、また洗面場のゴタゴタした處で、素裸體になつてゴシゴシ擦りたてるのも變なものだからね、それもさ、體格でもよい事か、あの様子では實際ウス見つともなくつて見てゐられないからね。
 そこで、主人の體格のいかなるものなるかを御存知ない方に、鳥渡御披露しやう。主人は徴兵檢査の時、身の丈け五尺六寸であつたのが、今では六寸八分ある、氣の毒な事には、着物は安物では間に合はない、洋服屋は屹度割增をねだる、家を建てる時、普通では頭が閊へさうで心配だといふので、鴨居の高さを一寸伸はして作らせた、鴨居のアキが廣くなれば、障子も襖も別誂といふ譯で、何角につけて不経濟極まる身體だ、自分の家に居る時はそれでもよいが、旅にでも出ると事々に不便がある、まづ一番困らさせられるのは夜具蒲團の短かい事で、少し下等の宿屋へ泊つた時はミヂメなものだ、下敷は座蒲團で繼足をしても間に合ふが、上に掛けるやつは都合よく往かない、そこで外套で裾を巻いたり、シヤツを肩に纏つたり、それはそれは大變な騒をやるのだ、其次は貸浴衣に丹前で、これがまた大いていは膝切りだから可笑しい、主人はテレ隠しに少しツマを取つて歩行いてゐるが、勿論戸外へは其儘出られない、さてさて不由自なものだと御氣の毒になる。
 三
 主人は身の丈けが高いといふた處で、六尺には三寸あまりも不足で、敢て珍らしくはない、僕のよく逢ふ小杉未醒、永地秀太、山崎紫紅、織田一磨なんといふ先生達は、いづれも主人と伯冲の間にある、併し、それ等の先生達は背の高いと同時に相應に横にも張つてゐて、主人のやうに無暗に痩せてはゐない、極めて平凡だが、主人と來たら立夕の雨と雨の間を通れるといふ位ひなもので、それは細くってヒヨロヒヨロと、繩のやうに綯れてゐるのだから驚く。
 背いの高い人を通例ノッポといふ、どういふ意味だか知らない、高くって痩せてゐるのは日蔭の桃の木、鐵火箸、半鐘泥棒物干樟にトウスミ蜻蛉、高燈籠の油さし、針金の化物、細引の幽靈など、それはそれは聞くに耐えぬ侮辱した綽名をつけるものだ、電信柱などはまだよい方で、螳螂の干乾に至つては勘辨がならぬ。
 物は一利あれは一害ありだ、痩せてゐるものにも背の高いものにも、それ相應の天恵があり特長がある、高いものは雨が早くかゝつて、地に落ちたものを拾ふのに手間を取ると嘲るけれど、道端の犬の糞の匂ひを嗅ぐことが遲く、大勢の中で物を見物するには都合がよい、痩せてゐるものは押出しはわるいか知らないが、駈けこや山登りはお得意だ、なんて言ふて僕が何もムキになつて、痩せてゐる人の味方をする譯ではないが、僕は自身もあまり肥つてはゐないのだから、自然主人に同情した迄さ、團子違や芋蟲黨の諸君、悪く思つて呉れ給まふな、尻に敷かれた時、重いものだからアンナ事をいふと、決して邪推すべからず。
 四
 主人は洗湯が大嫌ひだ、その癖湯に入ることは好きなのだ。洗湯の嫌ひのは、痩ッポチを曝しものにするのが辛いからだらう、だから温泉ヘ往くのにも、なるたけ人の往かない季節を狙つてゐる、自家の据風呂が損じでもすると、幾日も湯に入らないといふ厄介者だ、それを旅先などで、毎朝毎朝裸體にするのは可愛想ぢやないか。
 冷水摩擦といふ奴は、公徳に害のあるものだ、此春も四國のある宿屋で、早起の主人は手拭さげて洗面場へ往つた、すると先客があつて顔を洗つてゐる、此家は大きな構だか、どういふ譯か洗面處は狭い、一人だけより使はれない、主人は先客の濟むのを待つべく、楊子を啣へてその邊をブラブラしてゐた、いつ迄待つても濟まない、先客は所謂冷水摩擦をやつてゐるのだ、それが、しかも御叮嚀と來てゐる、指の股から足の爪先迄もといふやり方だ、待つてゐるのを知つてゐるのだから、氣を利かして手早く切り上げさうなものだが、此忙しい世の中に、悠々とこんな事でもやらうといふ人の膽は違つたもので、一向平氣でゴシゴシ擦ってゐる、主人は唾液を口中一ぱい溜めて、不相變楊子を動かしてゐる、此時位齒を叮嚀に麿いたことは恐らく主人の一生中にあるまいと思つた、主人はまた、此時位い冷水摩擦の迷惑を痛切に感じたことは無いと言つてゐる、若しあの場合、主人が一番汽車へ乗るのであつたらどうだらう、主人が商人なら他人の冷水摩擦のために商機を逸して鉅萬の富を得損なふたかも知れない、莫大の損をしたかも知れない、主人が官吏なら、御川を缺いて譴責を喰つたかも知れない、可なり重大な結果を生じないとも限らない、必竟するにだ、冷水摩擦なるものは、よほどの暇人か、湯銭や洗濯代等を惜む経濟家のする事であらう、と言つたとて、何も今やつてゐる人に廢めろといふのでもなく、是からやらうといふ人に、およしなさいと言ふのでもない、たゞあまり効能を書き立てられるので、ちよつと反抗して見た迄のことさ。

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