島より(六月通信)

はくせん
『みづゑ』第七十九
明治44年9月3日

島より(六月通信)
 はくせん
 ▽一日眞弟佐賀へ渡らんとして舟便に後れたり、發信の二葉空しく一日延ぶ。
 雨降り出づ
 ○夕立や草葉を掴む村すゞめ(蕪村)
 ▽二日雨ふる。
 午後雨はる、濱邊に出でゝ樽を洗ふ。
 ○晩風やともしたてかねつ嚴島(蕪村)
 晩、せどの船出祝へ招かれてゆく、歡待頗るあつし、母上とみき子と余と三人ゆく、醉ふてかへる、鯛を口にして美味を解せず、酒を飲むで醉ひを覺ざる者は人に非ず、神か、無感覺漢か。
 ▽三日雨ふる。
 『みづゑ』來る、硯岡山、津田の松原、心地佳き繪なり、廣島講習會なし、殘念殘念、松江は遠し、如何にすべきや。
 ○青嵐机上の白紙飛び盡す(子規)
 雨はれて、夕空あかし、庭に立ちて雲の走るを仰ぐ、いろいろの形ぜる空の消え且つ湧きては走りゆくさまいつ見ても新らしき心地す。
 ▽四日宅を出でゝ山口に到り、歸りたくなりて妻子氣に掛りしは夢なりしか。
 連日の雨うらゝかに晴れて、双山に搖曳する白雲のさま見飽かず。
 二もとの柘榴花咲き始む、シヤツ一枚となりて海に入り物を洗ふ。
 、(こぼれ種子納屋の軒ばに二葉しぬ朝雨はれぬ青き風ふく)
 ま午の庭、駒の模樣ある子供傘二つ、問屋傘一つ、伏籠、伏籠の中にミノルカの雛七つ、K字に掛渡した物干竿に大小いろいろの着物、塀瓦には子供の下默草履十足ばかり、藏の梯子、醤油槽、むしろに干された麥七枚、豌豆一枚、空俵八枚、はだしの人々それらの物の間を往來す。
 ○夏山や紫躑躅遲櫻(道彦)
 ▽五日空はあかるきに雨ふる、狐の嫁入ではなくて、たゞ晴れた空の雨なり、初夏の候よくある天氣なり。
 細雨いたりては晴れ、海波靜かなり、完來の○行過ぐるあとに風あり夏野原を轉じて(行過ぐるあとに雨あり夏の海)か。
 ▽六日母上麥収穫に忙し、お弓手傳なり。
 午后一時種痘といふに醫師まいらず、光子學校まで行きて空しくかヘる。
 朝の雲次第に散じて日中は夏の盛りとなれり。
 ○山家こそよけれ青田に峯の雲(月居)
 宵、伊勢屋の門出祝ヘ招かれてゆく、新らしき水たまりたる青田のほとりを過ぐ、淸與。
 (訪へば衣など洗ふ音きこえ月ひとりてる夏の野の家)
 ▽七日遲く眼覺む、雲四天をふさぎて日光暗くうつとうしき天氣なり、もはや梅雨といふものにやと人々いふ。
 ○夏はまた冬がましぢやと言はれけり(鬼貫)
 平らかなる海べりに麥のイがゆるく浮べる、水の淸きに徂徠して殊に暮方の空のはなやかなのがうつれるなど夏めきてうれし、平和の水、平和の海といふことをおもふ。
 (雨はれて島影落つる夕ぐれの海見てあれは海月ながるゝ)
 月暗し、東山君病牀?かりに來る。
 ▽八日好晴、あつき日なり。終日勞働。
 午休み時子供を連れて濱に出づ、母上の眠安からしめんとてなり、景色よし、ブロツクと繪の具とりに歸り直ちに出でゝ寫す。
 勞働は神聖なり、然り神聖なり而して随分勞れるものなり、○夏の日も暮るゝものとて江の柳(武陵)
 吹風の庭をさまよふ、淡月あり。
 (月白く光りて澄めり夕ぐれの落葉のひまに見ゆる碧空)
 ▽九日
 ○燈心の手につく夏の夕かな(貞松)
 ▽十日雨ふる。
 (?いでゝ凉しき軒の玉垂れになぐさめらる、わが勞れかな)となりのお寺より花菖蒲をもらふ、新麥を煎らし麥粉をでかす。
 (さみだれは株の落葉に青梅に花なき池の菖蒲にぞ降る)
 ○短夜や毛蟲の上に露の玉(蕪村)
 ▽十一日雨小さくなりたれど熄まず、白靄連山の腰をめぐりて大勸氏の楚水の巻をおもはしむ。
 (禿筆に墨ふくませて描きたる峯と舟あり靄の瀬戸内)
 午後霽る、熊さんを傭ひて上の關ヘ醤油もてゆく、海上浮く晴れて淸凉心地佳し、ゆくゆく微笑の青山に對して畫心動くここ地なりしが繪の具もあらず筆ももたず、自然の神に對して見過しにすることいかにも濟まぬ心地せられつゝ靜かなる海を南ヘ漕ぐ。
 (瀬戸いでゝ大きくうねる水脈の果遠く仰ぎし白雲の峯)
 暮方かへる。
 (麥のイが靜かにうかぶ海の上にゆるくなかるゝ夕けぶりかな)
 ○白團扇隣の義之に書れけり(大江丸)
 ▽十二日
 ○羅をひくや天女の天つ風(鳴雪)
 梅雨晴れの日中はあつし、眩ゆし、素ツ裸の義少年をそゝのかして梅子をもぐ。
 ▽十三日雲多かりしかど日中は暑くなりぬ。
 正午夏の山巓を乾に去る白雲にあこがる、海光り、山けぶり、雲まぶしくて眼いたき思あり、力ある山と勢漲る海と、而して高き空と狂へる雲と、畫心頻りに動きしかど空しく惜しき自然の美装を逸す。
 (躑躅咲くつむれに立ちて仰ぎ見る梅雨晴れて澄む空の白雲)
 ○日盛の岩よりしぼる淸水哉(常枝)
 ▽十四日
 ○渡頭呼ぶ草の彼方の扇かな(蕪村)
 家内光子を連れて種痘うえに佐賀ヘ渡る、空は雲みつれど雨はふらず、穏かなる風あり。
 午後、小雨降出づ、藏の天窓の下にテーブル出して布哇の風景をかく、色薄く出來たり。
 ▽十五日朝お石も居ておそくいつまでも曉の灯を消さず、蚊帳の内より何時ぞと問ヘば、四時半と答ふ、何時に起出しやととヘば、三時なりしといふ、よくもとぼけたものなり、雨しとゞ軒に音すればいつまでも寢る。
 午後藏のテーブルに凭り前日のごとく繪筆とる、大寳沼の月失敗の色濃く塗つたくつてすませ、ブロツクを?きて佛國風景をうつす。
 釜の温まりに水もよく乾き天窓の光にテーブルも明るく、椅子なれば足具合も好く、離れて居れば子供も來ず、萬事至極佳し。
 ○絲くれば繭踊るなり鍋の中(四明)
 ▽十六日さみだれ晴れて心地よき朝なり。
 正午過三四時間ばかり習作。
 濱邊に出てゝ樽振りの手傳す、かろき白雲西ょり北に走りて空青く、海碧く、山また蒼し、一葉のセーリングボート或は右に或は左に快走す、淸一郎兄弟に四五の子供乗れり、遠く沖邊に出でては直ちに返り、返りてはまた急ち出づ、快味いはん方なかるべし、かくて續くること七八回、方向を變ヘ異樣の走り方せんとして三町許りの沖合に轉覆す、子供ら面白がりて興じ叫ぶ、これも夏時の一興なり。
 ○みどり子の?を這出る月夜哉(祐留)
 ▽十七日朝太三郎に起されて田布施ヘの送物たのむ、あまりのよき凪に家内俄かに徳山ヘ行かうと仕度す、突拍子の事とて旅費渡すことも忘れ、まだ夢の半ばなるとし子眼を擦り乍ら船ヘのる。
 みき子朝の世話の燒人もなければ、朝の御飯もすまさずに遊びに出る。
 枇杷、杏佳し、果物よき夏となりぬ。
 ○蚊遣火や麥粉に咽せる咳の音(許六)
 ▽十八日南より雲いでゝは北にはしる、風もやうなり、雨來っては止む。
 午後對馬送りの醤油もて室津ヘゆく、三人乗りなり、途半ばより小蒸汽が漕ぎゆく石炭船の尻につかまりてゆく、大に呑氣なり。
 歸途追風、友○氏よりハガキ來てあり。
 拝啓頃日山口も中々熱く相成申し候小生近時の生活状態は先づ朝は七時より八時頃に起床冷水浴(事實也)朝食は何日でも一人にて下女は小生の起るのは底到待てぬと見ヘ食事のなる樣にしむけて洗濯を致し候、何程遲くても初めて會ふ時『御早う御座ります』と申し小生は『ン』と申し聊か不具合に御座、候、それより一日大に勉強仕らず夜は翌日は早く起きねばならんと思ふて九時頃に就眠翌六時に目が覺めてより有耶無耶の極樂院に優遊致すこと又一二時間前後の覺悟は朝は一向駄目に御座候早々。
 ○風鈴や温泉宿の長廊下(柳家)
 との日水場より來客あり。
 ▽十九日お客返るといふ、雨ふり出す、止む。
 彦は大島行の醤油つめ、お客さんは茶の間ヘゴロ助八ベエよく寢る小母さんなり、おひるまた玉ちやんの齒痛み出す、返るとせがむ。
 早くお八ッをすまして其弟と船を仕立てお客さん母子をつれてゆく、田谷までなり、みき子もお伽に乘せてゆく、海波穏かなり。
 夕日照りて緑蔭の海佳し。
 ○行水のすて所なき蟲の聲(千代)
 ▽二十日曇、小塔峰の輪廓をとる。
 八ッ茶すみて下の菜圃の草採り、ネープル一本枯れさうなり、新葉に蛆あり。
 ○夏痩の横顔照るや宵の月(雲居)
 ▽二十一日晴曇さだかからず。
 明年展覽會天聲會三月、大平洋畫會五月、水彩畫會九月と新紙にあり、水彩畫會とはいかなる會にや。
 試みに俵を締めてみる、繩をこぐ小指の内側痛し。
 ○潮引て藻の花しぼむ暑さ哉(兒行)
 ▽二十二日空よく晴れ日光あつし。
 (芋植ヘる畠を日中の風凉し)
 (潮引て浮きし島根の青さかな)
 水に入れられたまゝ捨てゝ出られし朝の食器を洗ふ、眞弟飯焚きを吩咐りて午前九時半頃ことことと台所に音をさす、太刀山全勝の報いたる、あなうれし。
 〇六月や峰に雲おく嵐山(芭蕉)
 終日かゝつてアンシク湖上の小塔峰着色なる、洋畫具で描きし日本畫なり、線あまりに多く赤茶けて見苦し、『面白い繪がだんだん出來るじやないか』と眞弟いへど全く鵺的なり。
 ▽二十三日旭の濱邊を郵便出しにゆく。
 (朝まだき納屋の裏なる小畑の瓜の葉かげに蚯蚓なくなり)ブールヌの谿口に着色す、幾度塗つても幾度塗つても趣無し、困じ果てゝ二度洗ふ、繪もかくなりては全くお化けなり、大失敗なり。
 お寺の隠居、胡瓜の初なりを下さる、蓼もよく出來候ヘばとれ上といはる、おひる前郵便屋の茂助も台所に腹這ひになりて暫時園藝の話あり。
 ○庭つたひ一つみ貰ふ葉蓼かな(長白)
 母上は今日も二人の女を連れて芋植えたり、日よく照る、罌粟種子を採る。
 夕方、大黒屋よりコチ二尾まいる、ビワをおうつりに禮いひて返す。
 みき子ヘ添寢のまゝ朝となる。
 ▽二十四日亂雜な机の周りを片付けにかゝる、まつ小額の和賀井君の若草を不折氏の犀川の引舟に代へ、壁の原色版のキユピツトを一色版のサムマーイヴニングに取變ゆ、故紅葉先生の金色夜又の原稿の一葉を○氏の書翰と銅版の原稿と一緒になし大きな状袋に仕舞ふ、半ばにして用事出來。
 今日またヴールヌの峡口を洗ふ。
 鷄未だ雛のくせに頻りに鬪ふ、三羽の牡を別居さす。
 ○片羽もえて飛びあるくなり夏の蟲(闌更)
 ▽二十五日ふと眼覺む、宵の灯あり、午前二時宵寢のまゝ覺めずして障子も開放したるまゝ、ランプも點けたるまゝ、呑氣なものなり。
 曇天、ゆるき南風渚に波立ちて陰氣な日なり。
 ○夏川や魚にとらるゝ小蜻蛉(雪江)
 接木の?一本折られてあり、鬼灯もがむとてみき子の過なるべし。
 ▽二十六日雨ふる、鷄あちらの軒よりこちらの軒と軒下をめぐりてうるさし、お弓上の菜園ヘ馬鈴薯拾ひに上り過つて石崖の端より南側の路ヘ轉落、胸痛むとて母の家へ歸り其のまゝ休息。二十四日夜、みき子、明日水場へ行き、猶徳山ヘも行くといひて着物出す、出して直ちに着悦び頻りに飛びまわる。
 ○宵々や按摩の笛も蚊喰鳥(蓼太)
 ▽二十七日好晴ならばみき子連れて水場ヘ行く筈なりしに、雨ふりて便船も無く、彦も歸つて來ず、止む、みき子明快に諦む。
 二三日前よりみき子少し風邪の氣味あり、咳出る。
 小止みになる事もなく、終日大雨、人も幽室に氣分惡く、鷄も遊ぶ處なく寒げに軒下を去らず、陰欝嶋を包みて雨の音と、波の音と、腹底に響きて心地わるき日なり。
 女子文壇をよむ、夢路の木版賛成なり。
 ○蠅憎し打たむとすればよりつかず(子規)
 屋漏り甚しく、ものみなじめじめして心地惡き事限りなし、夜屋後に重き大きなる響をきく。
 ▽二十八日お弓あらざれば起出てゝ焜爐に火をおこす、茶を沸かす、母上部屋よりかへり佛飯を焚き玉ふ。
 雨ふらざれば傘ももたず高足駄にて郵便出しに行く、四海黄色に濁りて連く雨水の降る響をきく、間もなくさめさめと降出す。
 昨夜屋後の響、氣に懸れば裏に出て見る、下戎屋の風呂の下崩壊してあり、畑四ヶ所崩壞の報知あり、諸所にも水害あるべし。
 ふりみふらすみ、海和ぎたれば彦かへるらんと度々濱に立出て見る、黄昏漸くかヘる。
 (雨はれてあかるく暮るゝせど庭に美しき蟹あまた出ありく)
 ○憂き旅や蛋の飛込む汁の中(蓼太)
 ▽二十九日彦を連れて鎭守の北にのぼる、二間半ばかりの崖崩れを木の根丈けなりと除けんとてなり、みき子も連れて登る。
 (いつしかも我が身の丈けに生伸びぬ接木の株の青々として)
 (あふら散る森の径を朝行けばせゝらぎ涼し空にひゞきて)
 午後南の山へ崩壞見に行く、歸途田の浦のはま邊に腰を下ろしてゆるき南風に對す、淸想頻りに動けども詩ならず、鉛筆スケッチして歸る。
 五時過とし子ら三人歸宅、賑はしき宵となれり。
 青葉の下、ひるみき子が墓所詣の途に採りし磯草鉢植にせられてあり、夕ぐれに見る海邊の花は色凉し。
 ○雨の日や門提げて行くかきつばた(信徳)
 夜更けて遠く砲の響あり。
 ▽三十日濕れる空氣低う地に下りて胸心地わるき日なり。
 連日の欝氣いやが上に氣を塞ぎて我が心聊か沈む、晴れたる日旅行したし。
 樽、醤油道具などの黴を洗ふ、雲は四天にふさがりて青き空見せねど雨はふらず。午後茶の間の火鉢の側に轉寢す。
 (お八ツして枇杷など?きつ窓べりに憩ひてあれば楠の香ぞする)
 日中寫生に出掛けんかと思ひしかど中止、午後栓切りなど、重苦しき體あちこちに持運かねつ。
 鷄一羽病む。
 ○陣釜に孑孑湧いてゆたかなり(橘叟)

この記事をPDFで見る