寄書 野尻湖

土屋蒻霞
『みづゑ』第七十九
明治44年9月3日

 六月十八日午前十時柏原停車場に下車、信濃野尻村に向ふ、十一時半頃野尻舘★着、湖水★産ハヤの醤油煮にて辨當を濟ます(一皿金六銭也)
 午後一時舟を需め辨天島に行く、舟夫は小松屋とて年頃五十位の小さき人なりき。
 「コノフネヤスベリガヨオゴワス」と自分の舟の速力早きを自慢しつゝ仝じ姿勢にて終始怠りなく舟を辨天島ヘと進めぬ
 島に着き二時間後の再來を約して舟夫は戻る、湖畔の柳を前景に飯綱山を遠景に急ぎ一枚スケッチす、宇賀神社に參詣す、巨樹繁茂して若草深く一種異樣の感に打たれぬ、島の東に至り鉛筆して又スケッチせぬ、寫生終りし頃舟夫來りければ又舟中の人となる、歸途たまたま舟を止め形拙きスケツチをなしつゝ陸に上る、湖畔にて斑尾山を寫す、夕暮野尻館に歸る、此の日の渡舟料金貮拾銭也。
 野尻館の宿泊料金參拾五銭也。

この記事をPDFで見る