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『みづゑ』第七十九
明治44年9月3日
□原色版『書見』は昨秋文部省美術展覽會に出品されしもの、原畫はワットマン二ッ切なり。圖は二階の窓から眞晝の戸外を見たる處にして、窓の形は會津地方の特殊なる形式なり。仝じく『日比谷附近』は八ッ切にして、一昨年の夏寫生されしもの。『コスチユーム』は水彩畫會研究所の一部を寫生せしもの、四つ切大。『松島の夕』は昨年夏の寫生にして、八寸に一尺二寸大なり。
□本號より、毎號原色版四枚を挿入する事にしたが、此上讀者が多くなれば、更に経濟上の餘金だけは、何枚にても繪畫を增すべく、萬一不幸にして讀者が減したなら、不得止繪畫も減じてゆく、それ故、愛讀の一人でも殖へるやう、編者も骨を折るが、諸君も盡力して下さい。
□京城の横田氏から『みづゑ』編輯費のうちへ金貮圓を寄附されたり、謹むで御禮を申上る。
□丸山晩霞君の宿所を、前號に載せて置いたが、更に近々蘇國の方ヘ旅行せらるゝので、以後の通信は左に宛てられしとなり
Banka,Maruyama.%Japanes EmbasvyLondon,England
□次號は、大下氏の山陰旅行記と共に、その寫生畫を原色版として挿入する筈であるが、製版の都合でそれは十一月號に廻すかも知れぬ、若しさうなれば、次號の原色版は、三宅氏の『ブローヂ』、大下氏の『溪川』のほかに、研究所秀才の分を挿入すべし、記事はまた未定なり。
□松江及び敦賀に於ける講習會の情況は十月號に掲出さるべし。
□本號には、問答、讀者の領分、及び需供案内は載せず。