松江講習雜感

飄花
『みづゑ』第八十
明治44年10月3日

○講習第一日に先生の作品を拜見した時の感じは一寸忘れることは出來ない、嬉しいやら珍らしいやら、私等の樣な原色版組は只呆乎としてしまつた。然し二度目に説明をして戴いた時には、調子とか色彩とか少しは分つた、そして原色版と異る點も認め得た。以來は原色版に對しても原畫の感じを想像して見る事が出來ると思つた。
  ○先生のお顏は寫眞で度々拜見してゐた故か、初にお目にかゝつた樣な氣はしなかつた、そして想像してゐた通りの人格のお方であつた。全く江戸兒式で誰れにでも能く談されるのは嬉しかつた。多數學生が敬慕する譯だと思った。講話振りもむまいものであつた。あれが三脚君かと思ふとお可笑かつた。
○講話で思ひ出したが、竹下先生の透視畫法の講話もお手のものであつた。口が三分で手眞似が七分であつた。
○松江は水郷丈けあつて、他では澤山に見られない構圖を有してゐた。公園は感服しなかつた。御自慢の大橋も橋梁美はなかつた、あれが極ライズの少ないフラット、アーチであつたら面白うからうと思つた。
○畫材に苦しむのは馬鹿馬鹿しい、先生は宿の前の蘇鐵と裏の凌宵花も畫面に入れておかれた。成程畫材は何處でもあると思つた。吾々がそれを見出す事の出來ないのは目の修養が足りないからだ。
○講習で澤山な繪を見て目を肥やした他に、直接印象したものは少かつた。要するに講話は『みづゑ』を熟讀すれば分ることである、然し歸つてから一枚畫いて見ると、妙に畫き振りがこはれてゐたのには自分ながら驚いた、是れが講習の効果であらうと思つた。同感の會員もあるのに違ゐない。
 

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