合宿所評判記(松江講習會)
『みづゑ』第八十
明治44年10月3日
松江の宿は實に愉快だッたね、△全くだよ名前からして威勢の良い日の出館さ△其處でこの宿の同志を自ら命名して日の出黨は振つたらう△あまり美術的な命名でもないね△知へてる黨員僅かに十一名ではあッたが遠く千山萬波を越えて來た土佐節廣島ガンスの古つはものを始めとして孰れも日の出の如き有爲な連中斗りよ△それが悉く意氣相投して仲のよい事不思議な位△人數は少なくて室は廣い上に清潔△殊に湖岸に臨んで居るので凉風不斷は何よりの御馳走△加ふるに二階から見た朝夕湖上の美觀は壯絶麗絶△欄干越しに素ッ裸體でスケツチが出來る△何しろ空前の合宿所であッた△大に主催者に感謝します△タッタ十一人ぢや珍談も有まいね△どうして處が大有り大有り△既に開會の前夜の事大橋の車道を歩いて巡査の一喝を喰ッたお方がある△頭を掻き掻き行くと見知らぬ紳士が矢張り車道を歩いてる△先生自分の叱られた口惜しまぎれに巡査氣取りで紳士を叱り飛ばした△紳士怒るまい事か拳を握ツて「解ツてるー」と睨み付ける△俄巡査一縮みに振ひ上ッて頭をペコペコは重ね重ねの男ツ振り△散歩と云へばモ一ッ珍談があります△或晩總勢で夜の町をブラブラ歩いてると何時の間にか薄暗い墓地に迷ひ込んだ△あの時僕の手に捕まッて慄へて居たのは誰だらう△と云ふ君も驅け出した一人です△やッとの思ひで冷いたい石塔の間を★けて通りに出ると夜は更けて腹は北山△衆議一決遊廓近くの蕎麥屋に入ツた△表付きは惡くない癖に二階の汚なさ熱苦しさ△其處へ狭い室に大勢繰り込んだので今にも蒸れ死にさう△其上左右の室では怪しい女が客を相手にキヤツキヤツと火のつく樣な大騒ぎ△處へ吾等の室に膳を運んで來た怪物は確かに六〇六號の證明付△僕はモウお先きに失敬しますと云ふ泣聲が起る△兎モな角箸を持つた分にして這々の態で表に逃げ出すとゲーイ△あまり忌々しいからと云ふので信用のある店で喰ひ直して宿に歸ると正に午前零時三十分也△あの晩酷い目に逢つたのはエフ君の所爲だよ△ナゼ△散歩の初めにエフ君が京店通り(註に曰く京店は松江の銀座通也)の眞中であまり白くもない越中褌の緊め直しなぞ遣るからさ△だつて紐が切れて三尺が落ちさうになつたから帶を解いて修繕した迄さ△うまく修繕が出來たかい△ウンニヤとうとう片手で紐の端を引つ張つた儘で散歩した△汚ない男だね△一體エフ君は未だ中學生だけれど獨りで話の種を受け持つたね△二十町も先きの寫生地から道に遊んで居る猫の兒を捕へて來て寫生したのもこの人だよ△鼻持ちのならん程汚ない死にかかつた捨猫だつた△でも大切に風呂敷に包んで窒息しない樣に顔丈は外に出して持って來たのだとさ△或夜雨戸を開けた儘で寢たお蔭で裏の岸傳ひに泥棒が入つた△翌朝それと氣が付いて驚いて調べて見ると矢ツ張りエフ君の折鞄丈けが見えない△でも先生平氣で中には時計と紙幣やら爲替券やら拾圓ばかり在つたと欠呻して居る△間もなく不思議にもその鞄が隣りの酒屋の裏岸に捨てゝあつたと知れた△中を調べて見ると一つも紛失せずにチヤンと入つて居る△一同マア良かつたねと言へばエフ君相變らず平氣でマア良かつたね△それにしても十一人も大家が揃つてゝ一人も泥棒にお氣が付かれなかつたのはどうだい△如何に吾々が晝間さ樣に熱心に勉強してありしかゞ解るだらう△その夜隣りの岩田館では四十圓程遣られたさうだ△して見ると畫家に敬意を表する義賊だねヱライ△敎室で講話の最中瓦斯オルガンを吹奏したのもエフ君らしかッたぜ△夫れ丈は勘忍して下さい△愈々會が終ッて松江を去るの日米子行の棧橋で汽船に乗る際三脚をドブンと遣つたのも矢ッ張エフ君△それで船頭が直ぐ拾ひ上げて呉れたから助りました△實に終りを全うした譯だねハヽヽヽヽ△女中のオシゲ君が一番若くて一番よく働いて呉れた△オシゲ君が或る人にヨリ多くの親切を拂ふと云ツて強く氣を揉んで居た神經家があッた△その或人が歸る時オシゲ君甲斐甲斐しく側に座つてお召物を疊むやら袴の破れを修繕うやら『あたし○○まで一處に付いて行きたいわ』は飛んだ畫題△但し兩者間の趣めて神聖なりし事は委員長が誰明します△未だあるけれ共之れでチヨンチヨンの幕(シシウ生報)