故大下藤次郎氏の畧歴
『みづゑ』第八十一
明治44年11月15日
氏は明治三年七月九日東京市に生る、明治二十四年九月より仝二十九年五月まで故中丸精十郎氏の門に遊び油繪を研究す、次で仝年十月より仝三十二年十二月まで故原田直次郎氏に就き油繪、水彩畫を研究し、仝三十一年三月見學の爲め濠洲諸邦を巡遊す、明治三十五年十月洋畫研究の目的を以て再び外遊し、欧米諸國に遊びて全三十六年六月歸朝、氏は太平洋畫會創立當時より理事、評議員に歴任し、今日に至る此間專ら水彩畫の趣味普及に勤め、明治三十七年六月春鳥會を創立し全三十八年雜誌「みづゑ」を刊行し、進んで仝三十九年一月日本水彩畫會を創立し、仝時に水彩畫研究所を起し爾來專念能く後進子弟の薫陶に盡し、今や氏の事業は着々其の理想の如く行はれんとしつゝありしに突如として全四十四年十月十日午後四時病急に革まり、永眠す、時に齢四十三歳、翌十二日午後一時佛式にて葬送を營み東京府下雜司ヶ谷齋塲に葬る、戒名至誠院樹徳英澡居士と號す