先生の作品は叙情詩

服部嘉香
『みづゑ』第八十一
明治44年11月15日

 拜復、小生が大下先生に御目にかゝり候は、毎日新聞社に在社時代、只一度、文藝記者として御訪ね致し候のみにて、深き印象など纒りて申上ぐべき事も御座なく候。たゞ初對面に於て小生の忘れかねたる印象は、もの靜かなる、温き、澄き透つた方と存じたる一事に御座候。其の後二三度途中にて御目にかゝり候事御座候ひしが、二度目の時は、たゞ一度の面識に過ぎざる小生を記憶し居られ、十年の知己の如く親しく物語られしには、却つて小生の方にて痛み入り候。些事とは申しながら、斯の如きはたしかに大下先生の人格を見るべき半面に御座候。
 大下先生の水彩畫は、上野の展覽會場にて毎年觀來たり候ひしも、所謂展覽會向きの繪は一枚も無く、いかなる小幅にも全生命を傾注されしものゝ如くに存じ居り候。其の色彩と言ひ、其の調子と言ひ、全く先生その人の人格を結晶したる獨自の氣分を有し、之を貫くに誠實を以てしたるもの、尊ぶべきは此一點と存じ候。要するに大下先生は畫の爲に畫を描かず、自然に對し、人物に對し、先づ感じて後に筆を執られしものに候へば、先生の作品は一つ一つが抒情詩なりと申すべく、俗向きの大作――形の上の――に乏しかりしも、おのづから先生の藝術的良心を誰するものに御座候。所謂無聲詩とは譬喩的に申し鴇たる言葉に候へども、先生の作品にあつては、單に無聲詩といふのみならず、實に其の一景一彩が皆個性の明瞭なる抒情詩にして、もし先生の畫集の成る時あらば、そは繪畫を以てしたる一大仔情詩集たるべく候。
 此の誠實なる水彩畫家、後進の誘導に親切なりし水彩畫家、水畫普及に貢献少からざりし水彩畫家、最も詩人的態度のありし水彩畫家、――要するに畫界の恩人にして且つ詩人たりし水彩畫家大下藤次郎氏を失ひしは、我が畫界の爲め少からざる損失に御座候。今や再び温容に接すべからず、而かも先生の事業は尚ほ前途遼遠たり。痛惜の至に御座候。 頓首。 日本中學校敎師室にて。

この記事をPDFで見る