『水彩寫生旅行』偶感
山崎生
『みづゑ』第八十一
明治44年11月15日
御恵贈の「水彩寫生旅行」只今一讀を了し候、大兄の紀行文はいつも「みづゑ」にて拜見は致居候へ共、こう集めて見るとまた異なりたる情調を覺ゆる次第に御座候。平淡と申してしまへば、それまでなれど、その平淡の中に、云ふだけは、云つてしまふと云つたやうな調子を、そつくり出したのは、專門家に迫つた文章と崇めても、宜しかるべきかとも思はれ候、そのかはり、交の短處も、そこに存在して、活氣を失したるは、是非もなき次第かと思はれ候。
巧拙の差はとにまれ、大兄の文章は、その揮毫せらゝ畫を、其儘と云ふ傾き見え候、即ちあまりに、自然に忠實ならんとするの傾向あることに御座候、其儘を、其儘として、感受する態度が、是非共に、大兄に累を爲すにはあらずやと思はれ候。
元より素人の目と、繪かきの目とは、同じ天然を見る上にも、その自然を洞察する眼識の養成を受けたる差異が、異なりたる觀察を下すには相違なしとは申せ、とにかく自然に忠實と申す信仰を變えざる限りは、まんざらに黒を白と申すほどの、差異はあるまじく覺えられ候。
大兄の觀察が、素人と異なり候は、前述の理によりて、爭ふ點はなきやうなれど、底に香ひたる其儘主義は、あまりに一點を省略せざる點に煩ひを爲したるかと存候。即ち印銘したる現象を、あまりに詳しく語られんとするか、長短ともに、破綻を顯はすものにや、忠實には諄しといふ裏地を縫付あるものかと存候。
さもあれ、由來畫人の文章には、あまり好いものを見受け申さず、いやに氣取りたる文を弄し、その意の那邊にあるやを分たざるが多き中に大兄の文章が、明快簡潔、澄み切つたるは、確かに頭腦を痛めさせぬ特長がある事に存候。もしこれを寫生旅行の爲めにする、一種の案内記として見るときには、一層の價を加へるものかとも存候。
畫に至りては、素人何をか口を出ださん、たゞ云ふべきは「みづゑ」に出でたる畫が割合に多く集められてある事に御座候、もし畫伯大下藤次郎が「みづゑ」に於ける純藝術を伺はんとするものは、市塲に跡を絶ちたる「みづゑ」舊刊の蒐集に勤めずとも、この一巻もつてその恨みを療すべきことを附言致すべく候。この點に於て「ホトトギス」の「さし畫」に比較すべきものかと覺えられ候。
愚かなるとを長々しくも書き申て候。
九月七日 山崎生
大下先生