弔辭四篇
都鳥英喜
『みづゑ』第八十一
明治44年11月15日
弔辭四篇
京都 都鳥英喜
○大下君居常頗る常識に富み、人格亦崇高にして、友情殊に厚かりし事は、一ト度君に接したる者の永く君を忘れざる其徳頒するに餘りあり、君水彩畫を以て起ち、研究所を興して子弟を敎導し、私財を投して雜誌を發刊し、以て天下に洋畫の趣味を普及し鼓吹し、或は講演に或は講習會に、毎時其の先頭軍となり、斯道に貢献したる功績、極めて顯著なりと云ふべし、近時洋畫勃興の端緒、實にこゝに存すると言ふも豈に過言にあらざるなり、吾人常に君の熱誠なる勞苦を多謝し、敬意を表する所謂なり、君前途猶遼遠にして、其の勞を待つ事最多し、突如君病を以て斃れ、白玉樓中の人と化す、訃報に接し、愕然として言ふ處を不知、君今夏山陰に旅し、予又山陰に遊ぶ、山險に道遠くして、途に語るの機あらざりしを惜む、君今や亡し鳴呼悲哉。
明治四十四年十月