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『みづゑ』第八十一
明治44年11月15日

□本記念號に登載のため、諸名家より恵送せられたる追憶文は、本號に全載する筈でしたが、何分紙數に制限があるため、乍遺憾次號以下に廻したものがあります決して御好意を無に致しませんから、惡しからす御諒察下さい。
□紀念號は、大下氏逝去のあとかたづけや、「みづゑ」存續可否の問題やで、混雜の際に編輯と印刷をしたのですから、發行期日も遲れましたし、體裁も整は無いかも知れませんが、内容は諸名家の文章で、光彩を放つて居ることと信じて居ます。
□次號には三宅、石川、瀧澤、寺田、四氏の水彩畫を原色版となし口繪に挿入し故大下氏遺稿、文部省美術展覽會批評、其他諸名家の美術講話、紀行文等を以て満載し來る十二月三日、從前通り發行致します。
□大下氏逝去されたに就いて日本水彩畫會や同研究所も共に廢滅せしかとの御尋ねを時々受けますが、決して其樣なことはなく、依然として同會や研究所に何の異りもありません。
□會友諸氏の批評畫は會友規定により從前の如く本會へ御送り下さい、今迄と少しも變らず親切に取扱ひます。□横濱水彩畫會では、大下藤次郎氏の遺作展覽會を兼ね、十一月十一、十二の兩日を以て、會員諸氏の作畫をも陳列し、弘く縦覽を許しました、委細の通信は次號に載せられるのでせう。
□滿谷國四郎氏ば本月八日研究の目的を以て渡歐の途に上らる、見送り盛なりき。
□大下氏逝去の報に接し各方面より贈られたる總ての金員は之を水彩畫の發展の資に供せんため日本水彩畫會研究所に寄附せらるべしと。
□第五回文部省美術展覽會は去月十五日より上野公園に於て開かる、水彩畫は前回に比し甚だ小數にして日本水彩畫會よりは赤城氏一、水野氏二、後藤氏一、故大下氏一の計五點なり、因に同會は來る十九口を以て閉會し出品を京都府に移し京都府は十一月二十五日より之が開催をなす豫定なる由。
 口問に答ふ。讀者の領分其他の寄稿は次號より號を追ふて掲出することに致します。
□來春號よりは眞野氏の透視畫法、スタヂオ紹介等を掲載して、大いに新装を賑はす考へで居ますから盛に御愛讀を願ひます。

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