第五回文部省美術展覽會水彩畫合評

H、W、L、R
『みづゑ』第八十二 P.8-10
明治44年12月3日

 私達は未だ經驗も淺く、確實な技術をも持つていない、いはんや鑑賞の眼等、持つて居よう筈がない。それにも係わらず他人の畫を批評する等をこがましき極みではあるが、只自分達の我儘な好き嫌によつて思ひ付いた淺薄な感想を書き並べた。御世辭等至つて不馴な私達の云ひ分は隨分作者に對して失禮な事もあらう。が豆つぶの樣な奴等が何をぬかし居ると思ふてゐて頂きたい。一言作者諸氏に御詫をしてをく。今回の水彩畫は非常に少ない、僅に十一點に過ぎない。
 成績に於ても點数に於ても貧弱な水彩畫室に故大下藤次郎氏の遇然の遺作が花環と喪章とをつけて陳列されている。寂しき室は一層寂しさを加へてゐる。氏もかくなる事とは夢にも思はれなかつた事だらう其開會を病床から鶴首して待つて居られたのだらうに。鑑別の結果さへも知られずに突然逝去せられて終つた其固くむずぼれた唇はもはや永劫に再び開く時とてはないのだ。遺作「やなぎ」の前に立つに及び明日をも知れぬ人生の偲なさを思ひて只むせぶのみ。哀悼の情に耐えず謹んで吊意を表する。
 三三 朝 吉田博氏(全紙)
 W右の遠山より中景のあたり手際よく描かれて瞬問の感じもよ く捉へてあるが前景の失敗は全畫面のよき部分を沒却して不 愉快な者となり了した。畫面に向つて直ぐ氣の付くのは作者 の手段の餘りにあからさまに見え過ぎるのである。明るく黄 色な(特に黄色な光つたのでなく)空に暗い山を出したる事や 雲の配置の如何にも態とらしく見ゆるは其繪に封して尊敬の 念を去らしめる。流水は、色も失敗し水も平らかでない。水 に映つる雲の位置の曲りたるは著しく目に立つ。
 L水彩畫中の大作。水面の凹凸に見えるのが變だ、しかしなか なかなれたものだ。
 R私は氏の此迄の作品中で「雨後の朝」頃のものが一番好きだつ た。其後年毎に段々嫌さが增して來た。今度の等も氏の作品 としては會心の作とは云へない、寧ろ劣つている樣に思はれ た。中景あたりに巧な技巧が見られるが、全體に調子の調っ て居ない爲か、私にに非常に不愉快な感じを起させた。水に 映つた山や雲の影が不自然だ。氏の用ひらるる色々な手段が 畫面を汚なく見せて居る。
 三四 植物園 中林遷氏(OW紙四ッ切)
 H畫の粗密と作畫時間の長短は、敢て名畫を作る上に何等の關 係はないとはいふが、この繪がそれ程輕妙といふ譯でもある まい。唯何處かに面白味があると言へば言へるかも知れぬが この畫等は餘り展覽會といふものを、輕視し過ぎたものであ る。
 W輕いスケッチ的の筆に面白味はあるが、それ迄の事で、上半 面は厭だ、草花の著し方等は面白い。
 L水繪具の流動的の面白味はあるが、粗雜な樣だ。
 R輕い達者なものでは有がもつと物の説明が欲しい。只繪具を 紙の上へ流す丈けでは困る。
 二五綠色の流 赤城泰舒氏(半切)
 W君の繪に對すると何時でも自然といふものが君を通じて一種 崇高の感を吾々に與へる。此の繪等も矢張り其通り。穏かな る自然が何か神秘的に現はれて。或目に見えぬ何物かを囁く 樣に思はれる。全體に漲ぎる暖き色調は人を魅する力を持つ て居る、強て難を云へば、左り手の山の傾斜の見へぬ事と畫 面の中心の何となく物足りない點である。
 H就中柳の樹の連續して居る中景のあたりから六邊に移る處な どいゝ。
 三六日比谷の午後 後藤工志氏(四ッ切)
 W水彩畫中出色の繪である。いらいらした夏の午後の日を眞向 に浴びたる草原の、面白き迄に畫きなされ蜻蛉追ふ兒等の點 景も相應しく大膽にして要領を得たる筆致のよく働いて心持 のよい繪を成して居る。年齒尚若く日本水彩謁會研究所中無 二の勉強家たる君にして此作ある亦偶然ではなからふ。
 L色も感じも面白いと思ふ、筆にも味がある。
 R私も同感だ。ことに無邪氣な眞面目な態度が喜しい。この上 物體と物體との間の説明がもつと見えたらいゝだらうと思つ た。
 三三サンミシエル橋畔 石井柏亭氏(四ッ切?)
 W比較的平凡な構圖を捉へゐて新らしく見せた作者の手腕は敬 服に値する。全體に落付いた色調でコマコマした建築も、う るさくなく物質に拘束されない筆は自在に走つて居る。動い ている水は殊によい。
 Lコンテー畫へ水繪具を塗た別趣味のある繪である。あの樣な 規則正しい建物を味のある線でこなしてある處は流石デツサ ン主義の人だけあると思つた。
 R目新らしい丈に面白く感じた。無造作の樣な線に面白味があ る。左半の感が好きだ。色と云ひ描き方と言ひおちついて居 て愉快だ。
 H然し時間と云ふ事に就いては、少しも考へる事が出來なかつ た。
 三八池畔の森 水野以文氏(半切)
 Rうわついてゐない正直なあくまで眞面目な處に君の個性が表 はれて居て捨て難い趣きがある。中央の森から水にかけて心 持よい感を覺へる。只色の寒いのと山の面の見えない事と森 と山との距離の見えないのが欠點かと思つた。
 四〇曇りの夕 同人(四ッ切)
 Rやはり大きい方がいゝ。餘り一調子に成り過ぎた樣だ。遠景 は先へ行かず其中の燈丈前へ飛び出して居る樣に思はれる。四一北國街道 茨木猪之吉氏(四ツ切)
 W淋しい田舎の非常に透明した畫き憎い自然を比較的樂にやつ てのけてあるが別に面白い譯でもない。點景人物の比較は如 何にや。空と山の境の線の強く出たるは目障りである。
 R點景や遠景が氣に成つて仕方がない。寒そうな感はあるが干 からびた樣だ。
 四三白耳義の田舍 三宅克巳氏(四ッ切?)
 Wコセコセした筆で色も厭味だ。
 L、R同感だ。
 四四白耳義ブルーヂ町の橋 同人(半切)
 W老練の筆致は巧に働いて居るが色があまり一樣で灘濕ひなくと の繪にも見へる一種のブラウンがあまり多過ぎる。空等も餘 程不思議である。
 L前のよりもこの方を採る。
 R描法も色彩も氏獨特のものだ。總てを通じて重々しいあくど い感を起させる。

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