箱根古道の秋(遺稿)

大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ

汀鴎
『みづゑ』第八十二 P.10-13
明治44年12月3日

 電車を下りた時は七時を過ぎてゐた、小田原は夜中のやうに靜かだ、秋の口は短かい。今夜は何處でもよいと思つたので、家名も見ず族人宿といふ看板見當てに、とある家に入つた。通された二階の座敷には、うす暗いランプが置いてあつた、他には客の氣配もしない。生ぬるい茶を一口味はつて下に置いた時、睡むさうな顏した小女が膳を運むで來た、玉子の吸物、靑い皮の小魚、冷たい飯を一二杯、まづいと思ひながら食事を終つた。
 再び外套を着て靴を穿いて、早川口に住はるゝ舊師の未亡人をだづねた、木の葉を捲き砂を飛ばすうら寒い風に吹かれて、宿へ歸つて見ると座敷には寢床が敷かれてあつて、火鉢の火ば消えてゐた、風呂もないらしい、寢衣も來てゐない、詮方なしに上衣を脱いで、硬い薄團の上に橫たはつた。
 湯本に泊つたなら、暖かい飯にもありついたらう、心地よい湯にも入れたらう、そのかはり、先生の奥樣の、あのやうな喜ばしひお顏を見ることは出來まい、奥樣の眼には涙が見えた、昔しのお弟子は澤山あるが、先生亡き今日では、あまリ訪ねて行く人も無いとの話だ、よい事をしたと思つたら、宿屋の冷たいもてなしにも不足はなかつた。
 裏の木戸は風に煽られて居る。(十一月十日)
 湯本に着いたのは八時半であつた、岩崎邸の前を通り、近道を元湯本の村へ出た、こゝは箱根舊道の入口で、段々上りの家の作りが面白い、綠の苔蒸した石垣、何百年の間多くの人に踏れて磨かれた滑らかに光る敷石、赤い實をつけた柿の木、暗い衫の森、明るい芝草山、それ等が都合よく配列されてゐて、一歩々々變化しつゝも、村の盡くるまで、繪の樣な景色は連續した古風な家の中では か頻りに動いて、主人は挽物細工に餘念がない。
 箱根古道の秋は淋しい、父は參勤交代のお供をして、東海道は三十三度通つたと、いつも昔話をせられた、箱根の石高道ば駕籠にも乗られたらうが、草鞋はきしめて歩るかれたこともあらう、わが足下の圓石は、四十年前に父の踏まれたものかも知れない、と思ふと、道端の大杉も懐かしく足の蓮びも捗取らなくなつた。
 飾り氣のない姿をしてゐる二子山を前に清い流れがあつて淋しいけれど捨てがたい趣もある、一枚位ひはスケツチも出來やう。畑は、この山中でのよい宿で、少しの登り道を見上げると、天を衝く勢のよい杉の森がある。いく年の星霜を經しか、頗る雄大の感がある。こゝには二三の宿屋もあり、外國人あての圓いテーブルに、粗末な椅子二三脚、ガラス罎の中には林檎が紅く、煙草の看板は風に動いてゐた。畑からば傾斜が急になつた杉の並木も粗らになつた、銀に光る薄原を越して、遠く相摸の海が見える、秋の色美はしき駒ケ岳も近くなつた、雪に白き富十は晴れた空に高く聳えてゐる、日に向つての登り坂で、息は喘む、汗は流れる。
 箱根竹の束を背にして、山から下りて來る人と共に、少しく下ると、前面に蘆の湖が見える、箱根の町は遠くはあるまい。
 箱根神社の鳥居を右に見て、眞直に下る、家ある間を抜けると杉の並木があり、ホテルの白いペンキの色が樹の間にちらつく雜草を分けて湖岸へ出て見た、右の方、裾長く曳いたる駒ヶ岳高原の盡くる處、幾多の外輪山を前にして富士が頭を出してゐる外輪川には折からの夕日が紅く輝いて、山蔭は鮮やかなこばるの色をして居る、沖には風の吹くなるべし、靜かな湖面には、向ふ岸近く、 一筋二筋白い直線が描かれてゐる、畫架に向つてこの景をうつすこと暫時、風寒く暮色の漸く迫り來るに促がされて町の中程、遠州屋と云ふに宿を求めた。
 夏とは蓮つて町に淋しい、宿には昨夜と同じく他に一人の客もない、女中はいまは居らぬらしく、心のよさゝうな老婆が、何角と親切に世話をして呉れた、風呂もたてゝくれた、食事も旨まかった、箱根は寒い處だが、人情は暖かであつた。(十一月十一日)
 

箱根の旅より送られし、當時の繪はがき(其一)

 雨だれの音が頻りにする、思ひがけない天氣になつたものだと起き出る勇氣もうせた。湖に面した奥の座敷から、硝子越に見ると、白い霧は山も水も隱して、渚の杉の木が、それかとばかり、姿ほあるがいまにも消えさうである、風も可なりはあるらしく、岸うつ波の音は高い。
 お婆さんに、いまに霽れませうと言ひながら、火を澤山持つて來てくれる、恁んないたづらをしましたと、牡丹餅を置いてゆく、宿に居心地のよいので、雨の日も苦にはならない。果して晝過ぎから雨は歇むだ、湖上の霧の動くこと急に、山は見えたり隱れたりする。風強き中を、岸に出て駒ケ岳を寫す薄の原の濡れた色はむづかしく大に苦しむ。
  (十一月十二日)
 

(其二)

 握り飯を造つて貰つて、八時に宿を出た。日は照らしてゐるが、空には雲があつた。街道を西へと十八丁。峠を上れば薄の原の下り路になる、ところところに伐り殘された杉が、二三本立つて居る。富士は雲に隱くれて見えない。沼津の方は海と空とが連なつて、濃い紫色をしてゐる、果しもない高原を、一筋の道が通ふ、其の盡くる處は山中村であらう、杉の森の間に藁屋根が幾棟か數へられる、景色に壯大で都近き處にこのやうな場所があらうとは、いま迄思ひもせなんだ。
 風の強いのと、先を急ぐのとで三脚をも開かず、、石の坂を三島へと下つた、小さな村をいくつか過ぎた、杉の並木は絶えて松が代つた、雲が晴れて富士がありあり見えて來た。
 三島から電車に乘つて、沼津は千本松原の方へと向つた、數年前此地に泊つて、俥で修善寺へ往ったことがあつたが、どの道だか今は覺えてゐない、狩野川に添ふて細い道を下つて見た、廻船宿があるので、伊豆廻りの船の出ると處だと思つた更にゆくと田があり畑があり鐵道線路がある、中々松原の近くへ出られなゐ、畦に乾してある稻の上をあちこちさまようて、とある藁塚の蔭に風をよけながら海の景色を一枚畫いた。
 牛臥へゆくのには、此邊から渡船があるときいてゐたが、夏塲だけで、今はないといふ。畑に芋を堀つて居た百姓は、川向から來たとの話に、それでは歸りに舟に乘せて渡してくれと賴むで置たが、寫生をしてゐる間に、斷りなしに去ってしまつた、詮方なしに橋を渡る可く沼津の町まで戻る。
 橋から牛臥迄は可なり長かつた、何處が宿屋かとたずたずね漸く三島館に着いて、疲れた足を伸した。
 部屋は六疊に三疊、離れて居ろので諍かでよい、椽側の下は直ぐ海で、靜浦あたりであらう、燈火がちらちら見える、澄みわたつた月も出て、景色を一層美はしくさせた、浪の昔はザプリザプリと、時々思ひ出したやうによせて來る。(十一月十三日)
 ほのぼのと明けてゆく朝の景色はよかつた。圓い小山の頂のみが美しく見えたのが、霧の晴れると共に姿は明らかになり、島かげからばおりおり白い帆が産れる。風なき時には山の影を其まま映して、景色を二つにすろ、風ふく時には影は亂れて、やがては一面に網を張つたやうに、細かい漣が立つ、いつまで見てゐても飽くことを知らない。
 宿から二三丁、松原の中で、愛鷹を前にした富士を寫し、夏に我入道の濱へ出て、漁船を畫いた。狩踊の岸を堤を傳ひて、右に左に、鉛筆スケツチを得ること數枚、やがで昨日の道を、三時半の上り列車に間に合ふやうにと沼津停車場さして歩を進めた。(十一月十四日)

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