巴里の水彩畫展覽會
石井柏亭イシイハクテイ(1882-1958) 作者一覧へ
石井柏亭
『みづゑ』第八十二 P.13-17
明治44年12月3日
グレに居た時懇意にした米人H氏に案内状を貰つたので、予は今月十日ヂオーヂ プチーの二階で開かれたソシヱテ ァンテルナシヨナールダクアレリスト(内外水彩畫會)の展覽會のヴヱルニサーヂユに臨んだ。さうして予は其時會員の一人なるヂユメニール氏に紹介され、またこれは何も出して居ないスレード氏に話しかけられた。此展覽曾は今度のが七回目ださうであるが、其陳列品の最初の感じは甚面白くなかつた。併しながら招待された人々と謁家との應對の混雜に妨げられてよく見えなかつた處もあるか知らぬと今日再び觀に行つたが、大體に於て最初の印象の誤つて居ないことを確めた。
其處には隨分甘つたるい畫の多くがある。着眼の陳腐に加ふるに型にはまつた手法を以てしたものが少くない。單なる名處畫に留まるものあれば綠翠したゝる池水に白鳥を點じて素人の垂涎を促すもある。水彩畫の強昧と云ふことを曲解して、みだりに暴れた筆を用ふるもあり、華麗な赤紫の傳彩の三版に類するもある。また可なりの大幅に水邊の牧牛を描いた一枚の如きは如何して塗つたかを疑はしむる程で其空が「ムラ」なしに奇麗に塗られて居る、けれどもたゞそれ丈のことで何等の興趣もない。スレード氏も賣る爲めの展覽會のやうに思はれると云つて居たが、春のサロンにもこれと云ふ水彩畫を見なかつた、予は尚他に代表的の水畫の展覽のあるか否かを知らない。
ヂユメニール氏はヴヱニスのサン マルクの堂内を五枚ばかり出して居る。俗畫と云ふでもあるまいが、たゞ根氣よく堂内の暗い處を寫生したまでゝ深い感じは出て居ない。光りを出す時、白を用ふることをせずに、一旦染めた色を筆かなどで洗ひ去つて其上へまた繪具をかけるのは惡い方法でもないが、それがあまり各處に應用されては何かうるさく感じられる。たゞ金の色などは其方法によつて旨く表はされて居る。
散文的と云ふよりも平々凡々な風景畫の多いなかでロワ氏の着眼に梢見る可きものがある。「石坑と風車」「小湖」の如きは殊に予の氣に入つた。前者は赤つぼい石坑を前にして善く晴れた暮空に遠い風車を見せたものであるが、惡く騒がぬ用筆が圖題の寂寥に善く應じて居る。
蘇國の人でゞもあらうかと思ふハンケー氏の田園的人物畫は皆善ぐ描けて居る。色、形、すべて穩健な描法で『マリー』と題する農婦の半身の風景を背負はしたのば殊に勝れて居る。シモレ孃の室内の諸作も先づは佳作の方に屬するやうである。斜陽の如き、共時間の應じは充分とも曰へまいが、卓の近くに居る女は仲々旨く出來て居ろ。『工女の室』も惡い方ではない。此人の描法はボタボタでもなく、と云って幾度も幾度も重ね過ぎるのでもなく、またグアツシユ風に乾かずに、充分水畫の潤澤を保つた中庸を得たものである。
ホツドキンス孃の夏の濱邊のスケヅチとなるとまた大分違つて來る。それは亂暴と云ふ譏りを受けさうな處もある。少しくリユシアンシモンの達者な水畫を聯想せしめる處もある。何でも濡れて居る聞に手早く仕事をするに相違ないが、日の當つた濱邊に赤い日傘を立てゝ其下に女小供の居ると云ふやうな圖、(皆同じ樣な圖だが)の仲々敏活に旨く描けて居るのがある。
此頃木炭で輪廓乃至僅かの蔭までを描いて置いて其上に着色する人を大分見かけるが、それは畫幅の大きな場合などには甚だ恰當な方法だと思ふ。たゞこれをするには其人が素描に長じて居なければならぬと云ふことを注意したい。繪具の間に散見する木炭の線が素描家的に的確でない程見すぼらしいものはないのである。現に此展覽會にも其方法か用ひた作例が幾點かあるが其なかで見る可きはシヤプイと云ふ人のもの丈である。氏はセイヌ河畔の揚揚の雲天などを此方法によつて善く表はして居る。氏の油畫を二三枚サロン ドートンヌで見たが、皆灰色調の澁ひ畫であつた。さうして其サロンでは最眞面目なものゝ方に屬して居た。今此處にある色紙に畫いた『冬の夕』の如きも暗い河水と白で畫かれた堤上の雪との關係が面自く出來て居る。
其外ラブルーシ氏のヂブリユーヂを畫いたと思はれる數枚のグアツシユと、ボルトン氏のヴヱニスのテンペラとが稍勝れて居る。ラブルーシユ氏は好んで四角な粗い色紙に趣めて水氣の涸れたグアツシユをかすらせてルシダネルの得意とするやうな建築物を畫いて居る。が予は寧ろボルトン氏の伸びた筆を愛する。
總數四百五十點のうちから予の選び出したのぼ僅にこれ丈である。自分から曰ふのも變なものだが、予は今假りに自分の水彩畫を此間に置いても格別の遜色はあるまいと信ずる。思想感情等の點から見れば殊に彼等の作物の多くを凌駕し得るかのやうに考へる。否日本人の水彩畫其物が全體に於て決して歐米人のそれに劣つて屠ないことを認めるのである。總括的に曰へば日本人の水彩畫が概して汚くよごれて發色が悪いのに比べて、西人は色が奇麗に保たれて垢抜けて居ると云ふやうな違ひはあらう。併しながら彼等の手際がよく色の奇麗な場合には多く自然の忠實な槻察と描寫とを犠牲にして習套に甘んじて居るのであるから(無論除外はあるが)秤にかければ同じやうなことになる。其思想感情の方から觀察すると却つて西洋人の方に頭腦の古い後れた人が多いのである。これば恰度現今の日本文學と西洋文學との一般の比較に就いても同じことであるらしい。早く天狗になりすましても困るが、此點に就いて日本の新人は相當の誇りを有つて居て然る可きである。
『サロンなどでは水彩パステルの類は廊下に懸けられる』と云ふことを唯一の證據として、、水彩畫なるものを油畫から幾段下つたものゝやうに斷じてしまふ者が之れまで日本の或洋畫家のうちにあつたが、それは趣めて愚蒙なことである。大體佛蘭西の春のサロンの陳列の如きは决して理想的のものではない。其廊下に懸かるのだからどうで下らないものだと云ふことは謂れのないことである。また假りに西洋に於て水彩畫が油畫程に重きをなさぬとしても、それを直ちに日本へ當てはめなければならぬと云ふ理由はない。祖先から親みの深い水繪具に長じて、將來日本人の水彩畫が西洋に於けるよりも、よリ多く重きをなすことがあるとしても、それは少しも差支へのないことである。(十月十六日巴里の寓にて)