悲しき思ひ出で

春子
『みづゑ』第八十二 P.18-20
明治44年12月3日

 うたかたの泡よりはかなき人の身とは、かねて知りにし事ながらきのふけふ我身の上のかゝらんとは、實に思ひまふけぬ事なりし、十とせにあまる年月しげき人の世の數にはもれぬ、さまさまのうれひ悩みも、永き未來に望をかけて生きにしものを、希望や何、望や何、消えてははかなき一場の夢なりしよ、此夏敦賀の講習より歸らせ給ひしより何となう勝れ給ばず始めのほどは旅の勞れにもおはさむとおもひしに、やうやう日もふるになほはかはかしからぬに氣遣はしく、強て醫士の診察をすゝめぬされどさしたる事にもあらればさまでに心配はなしとの事にて少し胸やすまりぬ、其後も折ふし來診を乞ひしかど格別の事なしとの事なれば心のまゝにし給ひていつしか一月は過ぎぬ、明年はかねての望み叶ひて水彩展覽會を催すべければそれに出すべき作品なくては心細し、今四五日もたゝば快よかるべく何處へか旅行せむなどゝ日々族の事など語りあひぬ、さるに八日の朝より少し容體あしう見えければ診察をうけしにつとめて安靜を要すとの事にて始めて病床の人となり給いぬ、されど氣分は常にも變らずいと元氣よく自らさほどにもなきに大病人あつかいするよとてさまでの悩みもなく九日も事なう暮しぬ此日正男少し恙ありて學殺休みしものから晝飯は父上と共にとて食事をとりぬ、これぞ後におもひあはすれば親子團欒の會食の最後なりしよな、翌十日も午前は常の如く氣分もいとさやかにおはし正男も快よくなりて學校ヘゆきぬ、お晝はよきさしみありたればおかゆすゝめしに、此折もわさびはしげきつよもの故あしからむとて見合せ給ひぬ、神ならぬ身の後三四日の壽命とはいかで知り給ふべき、そを又心附ざりしこそくれくれも口惜しきかぎりなりし、食後少し立ちて手紙の代筆四五通なし繪の發送すべきものありてこれも兎せよ角せよと命ぜられ尚手紙あれどそは明日にせよとの事にて筆おきぬ此時何とも知れず胸せまりて涙はらはらとせしに、目ざとくも見合ひて、二夜さねむらねば少しまどろめよとすゝめられぬ、よしなき事せしと心をとりなほし今霄は何を參らせむ特に好み給ふものあらばそれにても、一品作り參らせむといひしに、さらばコロヅケこそよけれど世話なればそれにも及ばずとの事故、いと易き事とて仕度せむとおもひ、尚栗の實みのらばきんとんしてよなど語り合ひ正男もはや歸りこん、 歸らば裏のクコの實赤くみのりて美しければ野菊とをらせよなどいつに變らず、また旅より旅といふ(吉江氏の)小册子を手にとり給ひぬ、さらば早く夕餐の仕度と勝手に行きポテトの皮一つむきはじめしに、咳仕給ふようなれば、急ぎまた病床にゆきてみとりせしに常とは異りしようにおもはれしかば、急ぎ醫士の許に電話かけさせ又折から來合せし門下生にお身も近くの醫士招きて給へと、たのみひたすら少しもはやく治まらむ事を願ひしかひもなく、次第次第に樣子只ならずなり給ひ僅にしつかりせよとの一言ありしのみ正男と二人聲をかぎりに呼べどさけべと答へさえなくあへなくなり給ひぬ、かくても此まゝとは思ひもかけず水をふきかけ湯たんぼなど入れて見つ只只醫士の來診をまつのみ、折あしく近くの醫士は皆往診中圭醫は遠方なり只如何にせましと思ひ惑ふ内に、やうやう一入來られしも只一目最早望みなしとの宣告に胸もつぶるる計りとは實にかゝる折の事にやあらむ、されど尚あきらめかねて主治醫をまちしにそはまたあだなりし、烈しき心臓麻痺を起し給ひし事なれば最早手の下すべきようなしと、の給びぬ、無情は常とは知りながらも遂今迄も兎や角と語り給ひしに、其魂に何處の處にやかけり給ふわづか十分と經ぬ間に幽明遠き別れとははかなさも、つれなさも、實に此上の事やあるべき、才勝れしとて業あればとてよわきは女の常なるを、ましてや何の業もなく凡てを良人にまちし身の今よりは何を賴みに生くべきあまりの事に涙も出でず變りし樣の只只うちめしくなりぬ、正男出生の折の日記の末にも此兒將來如何になりゆくべきと望をかけられしに未だ小學も終らぬ、永き將來をおろかなる身の此重荷をいかに負ひ行かるべき前途なほはるかなる行末をおもへば絶えられず、人々は此身に障らむ事をうれひ給ひて樣々になぐさめられぬ、されどされど身に障るとて何かせむ今は心行計り泣きあかさむこそせめてもの心遣りなれ、正男はさずが男子とて、「母さん泣いてはいや僕も泣きませぬお父樣は遠くへ旅行なさつてゐらつしやると思ひましやう」と歸り給ふ旅ならば幾とせの月日も、いかなる淋しさも待ちもすべし、耐えもすべしいつをかぎりの當どもなきに、胸もさけなむばかりなり、去年のけふ此ごろに十利田の秋をさぐり給ひしに、あすありとめ古歌にもまさるあはれさ、忘れんとして忘れられず、徒らに過ぎし日の事のみ忍ばれて涙つきぜせず、かつてロンドンよりの玉章の端にも藝術家の妻となりし上は犠牲となりてよ、との言の葉さえ今は中中思ひの種たれ、此夏歸られてより、講習も程程に仕給へ正男もいつの年もいつの年も、暑中休みはお留守なれば何處へも行けず寫生のための旅なればせんなけれど、えんじしに來年は何處へも行くまじ、かゝる業も老年に及ぴては覺束なし、萬一にも此爲我身を傷むるようの事ありとも、我つとめのためにたほるる事なれば少しも悔む事なし、と何とはなく語られしことのゆくりなくも言葉の如くなり給ひぬ、なほかゝまほしき事さはなれど胸せまりて筆とめぬ。
 

 文展にて けい子
 思ひ出は愁しき秋をここに又捧けられつる花に泣くかな
 なき人を忍ぶが岡に秋訪へば散り殘りたる紅葉傷まし
 なつかしき都の秋も來て見れば愁しき風の吹すさむかな
 春子
 忘れえぬ日はいつしかにめくり來てまた新たなるかなしみのます
 いたすらに涙ますな叫いとし子が手向まつとてつくる花輪の

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