素人の繪畫鑑賞に就いて

SKK生
『みづゑ』第八十二
明治44年12月3日

 私は今此問題に就いて少しく述べてみたいと思ふ。勿論是は私の貧しい考へに依つて、其淺い意見を述べてみる許りで此主義を諸君に悉く適用せられよと云ふ意味でもなければ、望みでもない。無論人には其身姿や顏容の異る如く其固有な趣味性や特有な鑑賞態度があらう、繪畫其物に對して自已のチヤームを利己的に所得しよとする者もあれば、美術と云ふ管見を以て之に望むデイレツタントもある、要するに其鑑賞範圍は擴く極めて自由であるに相異ないが、併し私は素人として繪畫を面白く鑑賞するには最も適當ではないかと思ふ方法を?に記述したいのである。
 吾々素人は其境遇の如何に依つて同じ美術に其鑑賞や研究の餘地と方面に種々の變化があるものであらう、普通日々社會上の業務に從事せねばならぬ素人が、はたして專門家と同樣に興味ある繪を作り得る事が出來やうか、そして素人だとて乳其頭が進んだ時は自己の多く研究し得ざりし繪畫に對して滿足を表し得だらうか、吾意を得ないとすれば其時其人の趣味性は行き詰つて遂に他の下劣な觀樂に貴ぶべき趣味性を誘引されはしないか、これを思ふと吾々が技巧上にのみ信賴するのは甚た好ましくない事と思ふ。
 畫には自ら異つた味があろ。夫れは顏料の趣味と、其顏料を運用する技巧の味と、及び主觀とである、此三方面を同時に玩賞する喜も出來やうし又個々に之を味ふても愉快は盡きない事と思ふ。併し個々に味ふのは所謂深い研究の態度が必要でかくせねば又玩賞する生氣がなく、從て飽きが來る、故に私は業務の餘閑に樂しまうとする素人には顏料、技巧、主觀の三方面から繪畫を鑑賞する事を得策とするのである、即ち繪畫を鑑賞する範圍を鑛め、ワツトマンに繪の具をなする許りでなく時に美術史を繙く事もあながち無益の事でもあるまいし、水彩の良否を鑑別し得ると同時に油繪や日本繪の妙所をも感受すると言ふ事も甚だ面白い事と云はねばならぬ。要するに私は素人諸君には擴く繪畫を愛玩する事を良策でないかと思ふのである。
 眞のデイレツタントは藝術の敵であると云ひ、素人の繪畫は副産物の一片に過ぎぬと云ふけれども、而し私は一般人の美術愛好の精神が如何程迄其の時代の美術向上の助力となるか計り知る事が得ないだらうと思ふ。而して不世の天才の輩出も敢て衆人の美術好愛の熱度に關係が無いとも云へない事であらうと思ふ。
 以上は甚だ粗雜たる一茶話として見て頂きたい。

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