三脚の蔭口

テツタロ
『みづゑ』第八十二
明治44年12月3日

 大下先生とこの三脚君は、先生の御寵愛一方ならずと見えて、大の先生贔負だが、僕は大の主人嫌いだ。僕だつて主人に盡すのがいやではない、否主人に盡したいのは山々だ、が僕が主人嫌になつたのも大なる理由あつてさ、まあまあ、よく聞いて呉れ給へ。
 抑も、僕が主人の所に來たのも、あまり古いことではない||やつと二年にしきあならないのだ。それに見給へ、此通り、全身疵跡で隙間もない程だろう。此のことを思ふ毎に僕は、落涙禁ずる能はずだ。その上生疵といったら絶えたことがない。疵が出來ても少しもかばつて呉れない、膏藥位い安いものだから貼つて呉れればいいに、なかなかそれどころの話でない。僕に怪我をさした自分のわるいことに棚に上げて置いて『貴樣が弱體なのが惡いッ』などゝ反りて叱り飛ばすのだものもう本統に困つちまうよ。僕が他のものより、弱體だけ、それだけ容赦して使つて呉れればいいのだ。
 さうかと思ふと、僕の大切な顔に穴があいた時などは病院にでも連れて行つて呉れればいいに、汚い汚い橫町の靴屋に引つぱつて行つて、いやだと言ふのに、黑い大きな手をした奴が荒々しく十五針も縫つた。其時の痛かつた事といつたら譬へやうがない。その縫い跡は、依然として、今に殘つて居るのだ。
 先生とこの三脚君は、先生が丈の高い御方だそうで、丈の高いのが、犬の冀を臭ぐのが遅いとか、大勢の中で見物する時都合がよいなどゝ言つて居るが、僕はどうしたつて、丈の高い人に同情を寄せる氣にはなれない。それも丈の低い人に何も味方をするのではない。矢張り理由があるのだ、抑も僕の主人の痩せ長いことといつたら、それこそ天下一品見せものにでもなりさうだ。
  主人が、竹林の中にでも立つて居ると、どんな目のいい人でも恐らくは竹と主人とを見分ける人はあるまいと思ふ。
 宿屋などで、布團が短いとか、鴨居で頭を打つ穴とか、主人が痩せ長いので主入が困るのだから、僕に關係はないにしても一つ困ることがあるのだ、それといふのは外でもない。
 前に言つたやうに、長い事此上なしの主人だから、家の間や、林の中などを通る時は、人が通つた後でも、必ず蜘蛛の絲にぶつかる、朝の内はいゝが、日が高く昇つて、蜘蛛の巣に宿る露が消えると少しも見えなくなる。
 そこで、主人は右手で僕の頭を握って、兵隊さんの『捧げ・・・ツッ』のやうに、顏の前に突つ立てて行くのだ。
 蜘蛛の絲の嫌いなのに、主人ばかりではない、なんぽ三脚の僕だつて、矢張り同じことだ、堪忍して默つて居れば、いい氣になつて僕を茶碗や、箸のやうに、無生物同然に、見て居るに違いない。
  去年の冬は、僕を鍬の代りにして、道の雪を除けた事が幾度もある、其時などに、雪が足の間や、お臍の方まで入つて、あまりつめたいのに、シクシク泣いたよ。今年は、どんな事があつても、雪除ばかりほせぬつもりだ。
 又僕をランプの墓にしたこともある、大嫌ひの油の臭ひがするやら、蟲が澤山集まったのには、實に閉口した。まだまだ、こんな事を數へ上ると、幾らでもあるが、限りがないから、よしておく。
 僕が主人媾いになつたのも、遇然ではないから、僕を決して不忠不義の三脚と思ひ給ふな。
 

この記事をPDFで見る