秋季横濱支部展覽會を見る
K、Y、
『みづゑ』第八十三
明治45年1月3日
拾一月の風は寒いが陽氣は小春日和の暖い十一日の午後港町河岸の眞港館へ水彩畫研究所横濱支部の第二回水彩畫展覽會を見に行つた暗い梯子を登つて三階へ上ると其處が會塲だパツト眞ともに西日を受けた明るい室だ。は入つて右側から二段に成つて、會員の作が五十占許り並べて有る。自分はわづか許りの寸暇を得て來たので唯ずうと一通見れ文けでそれに淺學な自分は批評する力はないが覺へて居る丈の作品に對して自分の頭に感じた事丈を書く。平田氏のは風景よりは靜物の花の方が色も形も善ひ。高畠氏は餘暇のない人にかゝわらず、つとめて善く出す人だ今年も七枚出して居る。秋晴、屋根の調子が少し弱くはないかその故か薄ぺらに見へる地面は面白いが樹木の葉の間から空のすいて見へる處ヘ餘り白を使ひ過ぎて目ざわりだつた。追分。★達筆で非常に面白く感じが出て居た同氏中の佳作だ山手。コンポジーも悪るく色の遠近もなく額から落ち相に見えた芦の湖、誰も善く描く場所だが左の遠山はいくらスケッチでも餘りぞんざい過ぎるそれに水も不透明で白粉の樣だ。仙石原、柿紅葉共に面白く思つた
鷹野さい子氏の靜物、二枚共唯描いた丈けで遠近なく物體の反射なく未だ未だ前途は遠い遠い遠藤宏氏の書齋背から下丸身なく疊は硝子の如く窓の外の感じは作者の再考を用す不可解、失禮だけれど未だ此んな物に手を下すのには早いと思つた、港。餘りに飛び放れた調子で港の景としては廣い感じがしない森の色は強すぎる台ヶ岳の裾、晩霞氏の石版畫を見る樣な氣麗な畫だが人物は少し色が張い樣に思われた。夕の海、上半の感は出て居るが下半は少し變だ小舟は無くもがなと思つた
淺雪は面白く見た、溪流同氏中の佳作と思つた石の形など事に面白く調子も善いと思つた谷、河原の石色は強過ぎはしないか何んだか突び出して見えた八王子はスケッチなれど筆が輕くて面白かつた、
田中氏は昨年と丸で描法が變つた樣に思われたが自分は同氏の先の描法が善い、今年のは悪いとは言はないが好不好から言へばをとなしい、昨年の描法が自分は好きだ極言すれば今度のは茨木氏の眞似と思はれる悪口はよして雨の跡、輪廓の正しい好い畫だが少し色が寒い鹽尻、中央の木の葉の赤いのは餘り調子はずれでヲレンヂの團子が成つて居る樣だ。
せんきの湯、調子と輪廓は例に依つて正しいが何人だか未醒か夢二のコマ畫を見る樣だ小雨、小雨の感じは少し薄い道の描法は餘りひねり過ぎはしまいか硝石板をつき合はした樣だ甲州駒ヶ岳、紫ぽい、はでな色の強い畫だ初め油畫かと思つた、甲非駒色が嫌に強くて不快な畫だ、秋見はをちつきの有る調子の好い畫だが右手の太い木はなくてもよいと思ふ四月、輕い筆で氣持の好い畫だが雲は少し不自然と思う、雲の影水が不透明だ、夕方の感じが更に出てない辨天通の邊でよく見る賣畫の樣な感じがした初夏スケッチとしては上午后の日遠山に強く日の當た感じは好いが手前の石の色の冷たい色とは不調和のきらいが有る、平野環氏の殘照は調子の好いしめつぽい色の畫だが前景の草と材木は餘りに柔かくつて最少ししつかりした處がほしい又中景の夕照の當つた家に鋭筆の輪廓が強く殘つているのは大變目ざわり注意すべき事だ、車はなくて好いと思ふ、他に吉田氏角田氏の作が三點宛出ていたが皆同じ樣に調子の弱い畫で自分は此の樣な人達の未來は望み多い事だと思つて參考室に入る滿谷氏の油繪二枚出て居た、村の入口より四ッ手綱の調子も好いし感じがよいと思つた河合氏の油畫も有つたが皆取るにたらないスケツチ許りだつた、茨本氏の水彩は隔三枚出て居たが中でも驛路は殊に善い右手の家のカベの色なぞ實に好い人物なんぞ活動して居る他の山中湖より本栖湖の方が感しが善い、吉田氏の一春も秋も丁寧な畫だが自分は秋の方が善いと思つた、中川氏の伊豆海手前の松は少しどうだかと首をかしげさせるが中景の水から遠景の山はふるへつく樣に善かつた、石井柏亭氏の伊太利の花賣娘は善く描いて有つた其外に故淺井忠氏の小品が二枚出て居たが皆な筆使いの氣色の善い畫だつた
終りに正面の床の間の前へくると其處に故大下先生の遺作が十數點先生の寫眞のまわりに並べて有つた自分は其處迄で来てかぎりない悲哀を感じ、しばし先生の事どもを思ひ出し、そして生けるが如き先生の面影を見てそゞろ今昔の感に絶えなかつた噫!先生は死んだ最ふ來年からの展覽會には先生の畫を見る事が出來な★のだ自分は唯々此の温厚玉の如き先生を我が畫壇より永久に奪ひ去つた無情なる天帝を恨む者の一人て有る自分は此處に一句をつゞりて此の稿を終る
庭の木の一枝折れて秋の風邪、