審査員に望む
大隅月峰
『みづゑ』第八十三
明治45年1月3日
十一月五日當地お伽倶樂部主催にかゝる子供寫生會が京坂電軌沿線に開かれ越えて十四日よりその展覽會が香里園で開催された。作品は總て七百餘點にて殆んど水彩畫が全部を占めて居た。元より小さき子供(當市全小學校の尋常五年より高等二年迄の撰拔生)の作であるからには駄作許りの陳列と云つてと餘の差閊えはないであらう。然し僕は斯る會の物質的の大阪に開かれたのは洋畫普及上に非常に利益があると思つて心より嬉しかつた。場場中で佳と思ひしは八幡社前の女、平野の下瞰、八幡神社、淀川沿ひ、寺門、水邊の林、神の森、伏見の家、其他二三
それについて僕はその審査に少し公平を欠きほしなかつれかと思はれるのである。僕は等級の如何なる順序かは知らないけれども假に特等を首席とするならば僕は八幡神社の畫に特等の賞を附したる理由を解するに苦しむのである。彼の燈籠の輪廓、石崖に寫る影の色。。アヽ何處に特等の資格があらう。僕はむしろ優秀の級の八幡社前の女の畫を特等にしたかつた彼の簡單にして要を得たる一寸得難たいスケッチ(子供として)にてよくその感興を捕へたるは感ずる次第である。僕はかゝる會に於ては充分眞面目に審査せられたきを願ふものである。少年は僅かの事に慢し易き者である然して最も誘惑され易き者である。審査員諸氏宜敷茲に留意せられん事を望む
終りに此會の永續を希ふて止まず(十一月廿三日)