讀者の領分


『みづゑ』第八十三
明治45年1月3日

 口廢刋!と覺悟して居た「みづゑ」が刊行されるのは誠にうれしい編者の御骨折を謝す、大阪支部は如何なされたのですか大隅君御近況を紙上へ(大阪市富岡洗帆生)□パレツト評判記は吾々が聞かんと慾する實に有益なるものなり諸氏も同感でしよが僕は切に毎號休むことなく永く永く連載されんことを御願ひする(吉田一二三)□先生大下師の死―私は本統と思ひません何だか再た逢へる時があるやうに思はれてなりません、今年の講習會に出席しで居たらば最後の御目にかゝれたのでしやうが―私は何故あの講習會に限つて御目にかゝれなかつた―實に殘念に堪へません皆樣同情してください(金澤KL)□大下先生のパレットを評判記に書いてくださいませんか、そして古い逸話も載せてください御願ひです(愛讀子)
□口繪原色寫眞版三宅氏の「カイロ」は昨年歐州旅行中の作品にして埃及ナイル河口の寫生、紙は粗面のワツトマン、石川氏の『台灣の町』はワツトマン九ッ切大、大下氏の『早春』は四ッ切大越後妙高山附近の寫生なり、藤田氏の『松江大橋』は四ッ切大の繪にて昨夏松江講習會に於て寫生せられしもの。
□本號の表紙は相田寅彦氏の圖案なり。
□次號の記事として石川寅治氏の靜物畫の話しを載する筈なれども一月は旅行に差支へ多ければ三月號より連載を乞べし眞野氏の透視畫法續、服部嘉香氏のナイト氏の繪畫概論矢代氏の偉大なる繪とは何、石川欽一郎氏の水彩繪具の談、スッデ★紹介、大下氏の日記抄に替へるに畫樂苦多日記を以てし、遣稿としては飯坂と★原等を揚載すべし。
□茨號の挿繪には大下氏、赤城氏、眞野氏、の三枚と今一枚未定のものと都合四枚の原色寫眞版及び其他の寫眞版を掲ぐ

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