水彩畫用紙の談

石川欽一郎イシカワキンイチロウ(1871-1945) 作者一覧へ

石川欽一郎
『みづゑ』第八十五
明治45年3月3日

 水彩畫の用紙としては、ワットマン紙を始め、OW紙、水彩紙など種々ある、又た木炭紙や普通の畫學紙でも、色が白く質が硬く、目が粗らければ、水彩畫に使用されぬことはない、現に木炭紙は、水彩畫に用ゐて、中々面白いものが出來る、何れの紙にも、皆其紙特有の性質があるから、此呼吸を呑込まぬと、初めは一寸工合の惡るいものである。
 ワットマン紙とOW紙とは、略ぼ似たものである、ワットマン紙の方が、質が稍柔かなやうで、OW紙の方は、稍や硬い氣味である、何れにも荒目と細目との二種がある、之〝"Not"と〝Hot Pressed"との二種で、此他に"Rough"と云ふ極荒いのがあるが、之はまだ輸入されて居らぬやうである、大さにも種々あるのだが、輸入されて居る分は種類が、限られて居る。
 荒目が好いか、細目がよいかと云ふことは、人々の好みであるから、一概に決める譯には行かない、荒目の長所は、下塗りの色が、荒目の底に溜まつて居る上に、上塗の色を、手早くかければ、凸面の處だけに、色が着くから一種面白い趣が出ることもあれば、面の凹凸が、自から光と空氣の感じを現はすに、助けとなることもある、その代はり、時にはハジキ過ぎて、塗るに手間のかゝることもあるが、之は後に談すやうな方法で、防ぐこと日も出來る、私自身は細目よりも、荒目の方がすきである、細目の長所は、細かい仕事をするには工合が宜いが、其代はり色を塗る時に、只だスルスルして、濃く着けることが困難である、筆と一處に色がとれて來るやうなことにもなれば、無用なシミが、方々に出來るやうなことにもなる、併し之も馴れると、呼吸が分つて來て、面白いものが出來るやうにならう、細目を水張りにする時に、紙が充分柔らかになつて居る中に、上ヘ目の荒い麻布(地をして無いカンバス)の類を被せ、上から靜に敲けば紙の面ヘ、麻の目が付いて、一寸工合のよいものが出來るのである。水彩畫紙と稱する一種の紙があるが、之は私は大嫌いである、ワットマン紙やOW紙は、リンネルで製してあるが、之はリンネル製ではないやうである、多少藁が入つて居るかも知れぬ、兎に角、色を塗つて乾いてから、色が前とは違つて見ヘる、之は紙が吸込む爲めかも知れないが、余程加減が六かしい、馴れたらば宜いだらうが私は未だそれ程の經驗を持れぬ。
 ワットマン紙も、OW紙も、風を引く、OW紙は引かぬと云ふ人もあるが、矢張り引くのである、風を引く理由は、濕氣の爲めに、ドーサが黴るのである、之を防くのは、丁度煎餅や海苔のシメるのを防くと同じ方法でよい、ブリキの筒に入れて置いてもよければ、桐の密閉のできる箱に入れて置いても宜からう、私は通常寫眞のブロマイドの筒ヘ仕舞って置くが、それでも永くなると、黴ることもある、黴れのでも、製造所へ持つて行けば、只で換ヘてくれるそうであるが、日本ではそんな譯には行かない、併し此頃私の經驗では、黴は一向差支ないやうである、私は水貼りの時に熱湯を用ゐる、即ち湯貼りにする、風呂桶の沸いてゐる中へ、ドブリと漬ければ、ニカワは水よりも湯に、早く柔らかになるから、直ぐに紙が充分に延びて、仕舞ふ、一分か二分で充分である、其れ以上永く漬ければ、最早紙が溶けてしまふから、注意を要する、ワットマン紙も、OW紙も、新らしいものは殊にニカワが強いから、色を弾ぢく氣味があるが、湯に漬ければ、ニカワが多少溶解して、拔けてしまうので、丁度よくなる、又此時に風を引いたシミが、紙面ヘ一杯に出ても構はぬから、其儘両面から綺麗に水分を拭ひ、毎もの順序で、貼つて仕舞ふのである、之が乾いてから、色を塗つても少しもシミが出ない、今まで數十回、私は此經驗を持つて居るから、大抵は安全であらうと思ふので、茲にお談をする次第であるが併萬一無效の場合があらうとも、怒られては困るから、豫めお斷り申して置く、なぜ此方法でシミが消ヘるかと云ヘば、湯の爲めに、ドーサが全體に融和して、風を引いて居る部分へも、他部分のドーサが、普及するから。である、と、之も私の想像説であるから、信用は出來ぬかも知れぬ。

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