濃淡
中村不折談
『みづゑ』第八十五
明治45年3月3日
東洋の畫、殊に日本の畫は、西洋の畫に比べて見て、濃淡が乏しい、之れは一面から云ふと、殆ど先天的とも云ふべく、我々西洋畫を研究して居る者でも、濃淡と云ふことに就ては、到底西洋の畫に及ばぬと、歎聲を洩すことが?ある、夫で單純裸體の一人位、描いて居る時にはフランスのアトリヱなどて、外の西洋人と仕事をして居る時などは、そんなに負ける樣にも思はぬ、然しながら少し複雜なコンポジションなとする時には、甚だ敷劣つて、彼等の仕事に比べると、濃淡の調子の低い弱い畫が出來て、夫で在留の同胞の畫が、誰のも誰のもも、皆此樣な鹽梅である、芥子園畫傳だの、芥舟畫學論の樣な物を見ても、濃淡と云ふとは、餘り説いて居ない樣である、そうして見ると、古くから東洋の人は、濃淡と云ふことを、取り出でゝ物にして居らぬ樣に思はれる、然し東洋とても、名畫を見れば、やはり濃淡が甚だ高い調子でいつて居る、夫で近頃は、明るい畫をかくかくと騒いで居る爲に、取分て濃淡と云ふことを、等閑にする傾きがある樣に思はれる、最も昔、我々が青年の時分に、描いて居つた西洋畫と云ふものは、隨分眞黒いものであつて、夫で日中の畫を描いても、夜の樣な畫が出來て、今の明るい畫とは、殆ど正反對の樣なのが出來て居つたけれども、不思議のことには、此様な黒い畫を描きながら、やはり濃淡との考は、甚だ幼稚で、且黒い斗りで、濃淡のないと云ふことは、同じ病に陥て居る、夫で一寸卑近な例が、日本人の濃淡と云ふ考のない證據として、只畫のみならず、芝居の樣なもの迄も、平たい無趣味なものゝみである、近頃大流行の活動寫眞と云ふものに、一寸此間はいつて見九が、日本側の芝居の、陰陽濃淡と云ふものが、考のないのに比して、西洋のが大變うまくて、其間の懸絶して居るのに驚いた、どの道日本人が濃淡と云ふことと、影日向をうまく調和させると云ふ考が、ひどく缺乏して居ると云ふことが、覆ふ可らざる事實てある、夫でこー云ふことを、是非研究せればならぬと云ふことが、目前に逼つて居るに關はらず、一般の風潮は、只明るい一方の、變つた物さへ描けば、夫が非常の新しい試みの樣に思ふ傾きになつて來て、美術の批評などする連中が、こんなことのみ奬勵すると云ふ鹽梅である、日本の畫の濃淡のないのを、一面からは寧ろ辯護して、日本的だ、東洋趣味だと云ふ迄に、誤解して居る樣なことになつて居る、夫は明るいと云ふ一方でも、充分に濃淡は現はせる、夫から又影と云ふものを使はなくも、畫は出來るものであるが、是は明るいとか、暗いとか云ふことの、好いことがよく分って、それて自分でも、大抵夫等の仕事が出來てからのことであろー、或は影など使はなくても、充分に種々複雜な事件が現はれ得るものと思ふが、夫も又どんな影でも、日向でも、現はれ得る技倆があつて然る后に、影などを無視して充分に何でもやれる迄に、立派な腕があつてくれなければ、難有くない、恰どデツサンが慥であつて、どんな面白い線でも、描き得る腕前か出來て、それで後に一寸一筆で、面白い形を雜作なしに描いたといふことと、同じ理屈になる、水彩畫殊に景色などゝ云ふ物は、全く色と濃淡とで出來て居る樣なものであつて、此濃淡が充分でないならば、只だ手の先の働きや、一寸のごまかし手段て、面白そーな仕事が出來て居ても、夫等の作品は、甚だ貫目が輕くて、弱くて畫面の大なるに比例して、愈薄弱に陷て、徒らに細かく苦しむのみで、充分効果を擧げることは出來ないと思ふ、天地間の大きな色彩、大きな濃淡を研究した后に、始めて偉大な作物の出て來ると云ふことを、常に心掛て、手の先の小さな巧みは第二、若くは第三位に置くと云ふことは、畫を研究することに於て、最も必要な事であろーと思ふ。