白樺展覽會を觀る

T生
『みづゑ』第八十五
明治45年3月3日

 外國の彫刻と云へば、富豪の所藏に歸して、私等には容易に見る事の出來ぬ、一二の大理石、然らずば希臘彫刻の形の磨滅した哀れな石膏より、見る事の出來なかつた日本は、白樺同人に依つて、眞正正明の彫刻を紹介された、而かも夫が世界に盛名がくかくたる、ロダン翁の作品である、數の上に於ては、わずかに三點ある、而し今日迄五里霧中、お天氣都合で決められていた審査とか、批評とか云ふ物に向つて、鐵槌を下したことは事實であらう、只に彫刻界のみならず、繪畫音樂等の藝術に影響する事の少なからざる事を信ずる、白樺第四回展覽會は、ロダン氏の作品と共にフオゲラー氏のエツチングと、主としてルノアール氏の作品、山脇氏、リーチ氏の作品等を展覽したのである。
 山脇君が玉乗を研究していると云ふ事は、久しい以前から聞いてゐた、然し氏の研究の發表を見たは、此の度が始めてゞある、玉乗、網渡り、曲馬、足藝等のスケツチ作品三十點、何れも木炭、クレオン、沿革等のスケツチに單彩をほどこしれるもの、中に二三單彩のみで畫いたのもあつた、六番と二十七番とが、内で傑出していた、私は氏の熱心が將來必ず一層微細の氣持をとらへ得る事と信じてうたがわない。
 第二室リーチ氏の作品で、充ち充ちているエヅチング木版、陶器、曰く油畫、曰く水彩畫、曰く素畫と、私は氏が熱心家であると云ふ事を認める、然し其熱心は努力であつて、決して研究に向つてゞはない、製造に向つてゞある、氏の作品には、一片の熱がない、熱を見出す事は出來ない、機械的に製作されている、ふくらみがない、氏の作品中では、線エツチングの「運河上の住家」日本紙に油畫を用ひたる「二人の人」砂目エツチングの隅田の夜がよい、二人の人は、鉛筆の輪廓に、油畫具の彩色で、あだかも古い支那燒瀬戸物の畫模樣に見る檬なものである。
 第三室フオゲラー氏のエツチング三十八點を以て飾られてゐる、フオゲラー氏から、わさわさ展覽の爲め送付して來たものだと云ふ事である、氏の作品はプレラファエル時代の詩集の挿畫を見る樣であると云へば、盡してゐる、版畫展覽會の時、善いと思った落葉松、之れがやはり傑出してゐた、私の面白いと思つたは之れ丈である。
 第四室ロダン氏彫刻三點と、ルノアール氏の「浴せる女」と、オーガスタス、ジヨーン氏の「少女の首」の鉛筆畫がある、ジヨーン氏の少女の首は、鉛筆でグリグリと只描かれてある丈で、一顧の價値もないものである。ルノアール氏の畫は、何日か美術新報の附?で見たが、其三色版とあまりの相違に一驚した、自分とて三色版が、原畫の面影を傳ヘ得るものとは、信じてゐない、然し斯くまで相違し居るかと思ふ時、印刷業者の、早くも歐米版畫の技巧を、習得し得たる顏しれる事を、氣の毒に思はざるを得なかつた。
 軟き肉の香り、異性の氣分が僞りなく現されてゐた、腰に纒われてゐる布なのでも、一點の筆に無駄がない、缺點と云ヘばパツクであらう、然し此の小品で、ルノアール氏を云々するのは酷である、ロダン氏の彫刻に就ては、M氏詳しく書いてくれる筈になつてゐるから、極く簡單に紹介して置く事とした、M氏のは、遲れたら來月號に載せる事とし度いと思ふ、室の暗い爲め、作品がボーとして、節角の苦心の個所が解らない、ことに「マダムロダン」の肖像の如きは、室の奥の角に置かれてある爲め、正面丈で、側面すら甚だ見にくい、而し額邊の肉の下の、筋のピクピクと動く樣や、唇邊の其軟さ、到底銅のものとは思はれない、本誌に挿入さるべき筈の「巴里ゴロツキの首」なぞ、寫眞版で見た時は、少なくとも五寸や七八寸位はあらうと想像してゐた、然るに實際を見ると、直徑は二寸弱の小さきものである、「ある小さき影」之れは比較的明るい所にあるので、他のものまり善くわかる、背より股のあたり、如何に銅であると思はんと欲しても、到底夫れとは思へない、直に自然夫れヘ引きつけられる、大さは大凡八寸程である、此の前に立つて居る人を見るに、二樣に別たれてゐた、一は嘆賞の聲を放つより、あまりの傑大に驚き、顏色を蒼白とし、嘆賞の溜い氣つくと、他は何所が善いかと、目のみ、きよろきよろさせて、苦しんで居る幼稚な人、夫れであつた。
 彫刻は開放の光線で見るべきもの、室の暗かりしは、かヘすかへすもおしむべき事であるとは云へ、我等は白樺同人ヘ、此の厚意を謝して止まぬのである。
 挿書「巴里ゴロツキ首」寫眞版に、複製版の際、原作の面影を失ふをおそれ、「白樺」所載の寫眞版を借り、其まゝ用ひたり、同人へ借與の厚意を謝す。

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