ロダンの彫刻
N生
『みづゑ』第八十五
明治45年3月3日
最初ロダンの彫刻が日本に來ると言ふ事を聞いた時にはとても其言葉を信ずる事が出來なかつた、それが今幾分時も出でずに自分等の目前に現はれるのかと思ふとちようど最初の逢引の夜の樣な不思議な期待に胸の血が躍るのであつた、自分等は會場へ入るや直ちに小うるざげなエツチングを陳列した前を通り越して眞直にロダンの彫刻を陳列してある奥の室に突進した。
雨もよひの陰欝な天候の爲めか妙に室の中が薄暗いその一隅に眞黒な「マダムロダン」の銅の首が白い大理石の台の上に少し俯向きかげんにのつて居るこれが永い間たつた一目でもとあこがれていたロダンの彫刻であるのかと自分等の眼は此の眞黒な銅のかたまりにヒタと釘づけられた。
見ない中はどれ程の興奮を感ずるだろうと思つたのが豫期ほどの興奮が無いのかもどかしい然し是れはすべての老熟した偉作の持つている、みだらな騒音で一時に人の感情を高めるのでは無くシンミリと底力のあるとゝのつた階調で人の心を引きつけるのであつた。
自分等はしばらく吸ひ込まれる樣に見つめた、見て居る中は最早これは冷い銅のかたまりでは無い生々しい一個の女の首である、沈痛なヒステリツクな近代女性の靈そのもの。てある、少しの澁滞も無い水の流れる樣な線の美しさ、豐艶な肉の柔かさ、顏面筋の運動の快よさ此等のものが驚くべき簡明な單純な無造作な技巧で事もなく作り上げられているのである、しかも血管や顔面神經のビリビリと微動して居るのさへうかがはれるのである。
斯程まで複雜な綿密な微細な寫實が少しの混亂もなく錯誤もなく丁度斧で斷ち割つた樣な鋭い大膽な面と線とも統一され抱合され調和されて大體の構成を保て居るのである。
殆んど人間業とは思はれない程な周到な用意と何處から何處まで行き渡った綿密な注意とで殆んど完全に作り上げられて居るのである、恰も自然そのものに對する樣な感を與えるのである、見ていて見あきると言ふ事が無い、あの燃る樣な情緒と強大な威力とか壓する樣にジリジリと迫まつて來るのである。
後を振り向くと其處に「或る少さき影」が立つている僅か尺にも滿たない少さな男の裸體像である、此の少さな像が驚く程な力と大さとを持つて居るのである、此不思議な力と大さとか何によつて現はれたのであろう、是れは實に大きな線の波動と大きな面の構成とを捕捉する事によつて現はれたのである、生きた人體の構造を微細に研究し理解した後でなければ是等の大きな線の波動や大きな面の構成を捕捉する事が出來ないのである、ロダンは實に人體構造の底の底まで呑みつくしている、かくてこそ此の少さな尺にも滿たない彫刻にあれ程の偉力と大さの感を表現したのである、極端に言へば殆んど四角な面と直線とで構成されて居るのである、七かも筋肉の伸び縮みたるんだ處締った處の抑揚頓挫は徴妙な變化を傳へて居るのである、是れを見て後を見ると夫所に「巴里のゴロツキの首」が硝子の函に入つて居るわづか二寸ばかりの一塊の銅のかたまりである是れには「マラムロダン」に見る樣な線の美しさも肉の柔さも無いか只一個のスケッチとして如何にも汚ない巴里の裏町邊をウヨウヨして酒と女と賭博に入り浸て居る浮浪の徒の特質を力張く表現して居る樣に思はれる。
扱て是れ等の少さな三つの作品で彼のバンスサーやベザーやバルサツクや其他無數の偉大なる彫刻を作出した作者の面目特質をしのぶには餘りに僅少ではあるが、然しこれ等の三つの彫刻を熟視すれば其處に自ら作者の特質の躍然たるのを感ずるのである、諸先輩の談論中飜譯や作品の寫眞によつてをぼろげながら描いた作者の特質か此の三つの彫刻によつて更に確實に旦つ鮮明にされたのを覺ゆるのである、此の三つの少さな彫刻はロダンの言葉を立派に證據立て居るのである、此の三つの彫刻の自分等に及ぼした私益や感化は決して鮮少では無い。
此の三つの彫刻が自分等に進むべき路を指し示し旦つ確信を與へてくれ穴のを心から感謝するのである。