ロダンの彫刻三ツ
『みづゑ』第八十五
明治45年3月3日
▽浮世繪のお禮に貰ふ
二月廿五日まで赤坂區靈南坂下三會堂で開催の白樺社主催第四回美術展覽會の奥まつた第三號室に陳列されて居る三個の小い青銅像がある
▲作者の名はオーギュスト、ロダンと云ふて其道の人は誰知らぬ者なき佛蘭西彫刻界の巨匠、批評家の或る者なぞはミケロアンゼロと比較して居る其作品は佛國の國寳と迄云はれ歐洲でも翁の彫刻を有して居るのは只ペルギー一國あるのみ然るを東洋の一小國が而も三個を有することは日本の誇りであると齋藤與里氏は云つて居る
▲一體白樺社が如何にして斯る珍寳を手に入れれかと云ヘば一昨年十一月ロダンを崇拝するの餘り翁の七十回誕生の記念號を發行して其作品の寫眞及び批評などを載せた其時ロダン翁は日東華冑の若殿原が自分を拜崇して記念號迄出して呉れるのを喜んだと見えて白樺社に手紙を寄せ日本の浮世繪を送つて呉れるならばデツサン(下繪)をお禮に送らうと書いてよこした
▲茲に於て白樺社同人は根が華族の若樣連の事とて早速北齋歌麿等を三十枚許も買集めて送つた、すると翁は非常に喜びデッサン位ではお禮が少いとでも思つたか小さい乍ら青銅像三個を送つて來た其價は三万圓程だと云ふ四個の名は「ある小さき影」「ロダン夫人銅像」「巴里ゴロッキの首」と云ひ第一は一尺五寸許、第二は一尺許、第三は四寸四方位の者である
▲日本では故萩原守衛氏がロダン翁の感化を受けて歸朝して以來非常にロダン熱が熾になり毎年の文部省展覽會にも其影響を受け乃至は其模倣とも見らるゝものが盛に出品される迄に至つたが此等は多く寫眞を見て研究した者許りでロダンの眞物は中村不折氏外一二の巴里遊學者が貧弱な素描を持つて居る許りであつた
▲政府の手にも金力にも依らず却て華族の若樣が寄集つて道樂半分に文藝を樂む白樺社同人の手に三個の青銅像が落ちた事は面白い事である展覽會は去十六日から開き廿五日に閉會の筈であるが都下の畫家彫刻家文學者及び文藝趣味ある男女學生で毎日引も切らぬ有樣である(東京朝日新聞)