非人情の記 二

幸雄
『みづゑ』第八十五
明治45年3月3日

 東京から來た汽車は大磯で、澤わな、窈窕翩々たる人々を降ろし、同時に、妙な男を二人のせて西に走つた、ポーと鳴つて、車は動き出した。
 建さんと僕とは、彌々、非人情な旅を始め出したのだ、「世の中を芝居と見るのだよ」定めたのは是丈である、僕は元來、定めるのが大嫌いと、云ふ惡い性分だ、散歩に出る時でも行き先を定めるとつまらなくなる、しなければならない、行かなければならない、となると、手を出すのも嫌になる、興の起る儘、心の赴く儘に好き自由に毎日行き度い、所謂僕は天下の逸民だ、偖、建さんは鬚の生えれる坊ちやんだし、僕はまた斯樣な氣儘者だから、口にこそ出さなかつたが、自然の結果として萬事は僕がすつかり呑込んでやる事になる、而して、根が非人情修養と云ふ目的なのだから、出來る丈成行きにまかせて、一方には、僕の心の赴く儘、一方には世間周圍の導く儘、何處へでも行つて、何時でも歸つて來る、此二の引力が衝突した時?勿論臨機應變である。
 ヤー、天氣が怪しくなりて來た、今朝から伊豆の島山を鼠色にぼかして天城に重なつて居た、雲が漸く動き出して、そろそろ此方ヘ向いだした、海は、眞暗になる。
 「覆海來者何之賊、ねえ、蒙古の軍勢はみんなだつたかね」建さん大部生意氣なことを云ふ、其癖雨の用意も何もないのに、磯馴れる松の間から白く光つて浪の躍れるのを、見て居るうちに國府津につい売、何の氣なく小田原まで電車に乗つて十時半頃着いた、小田原は實に下水の多い所である、幾年前か商業學校の演習で此地を通つた時、念の爲めに友達と勘定をしてやつた事がある、が何でも數へるのが嫌になつてやめたと記憶して居る、其數へられない程澤山下水の蓋のある、街道を右に見たら屋根の間から遙かな山の頂きにかゝる、素適な感しのよい雲の一塊が見えた、僕は急に其雲が慕しくなつて、折しも、出たる四つ角を右に曲つた、見ると數年前獨りで歩いた道了街道である、昔懷しさが津々と湧いて來て、深い杉の森の靜けさに其奥の奥に響く梵鐘の音の幽しきを聞きながら獨り佇む、怖ろしい天狗様の顔が見度くなった、「イヽ所ヘ連れて行かう」と云ふて、僕は得意に歩き出した、建さんは温順について來る。
 降りみ降らずみ、不得要領なお天氣である、函嶺の巓を黒々と覆ひかぶせて、神秘を永久に閉して居る、雲の輪廓が少しほごれる毎に、下界は、日に當つて居ながら、時ならぬ銀の箭を蒙る、風は大部あるから天上、雲の往來は仲々忙しい、前景が眞黒にかげると、遠くの山の峯に一ぺんに強い夏の日が映える、と思ふ間に、何時か足許に自分の影が出來て露をふくんだ、道路の草は、突然輝き出す、空には寒色の雲と、暖色の雲と、交々去來して、青空までが、悠久の色を湛へて、其間から窺つて居る、強烈な、多忙な、複雜な天地である。
 雲を見誥ながら、夢中に歩いた、建さんは、ビスケツトを食ひながら後から從つて來る、雨が時々驚かすものだから詮方なしに着蓙を買つた、根が非人情な旅だから雨位平氣な筈で無くてはならぬ、濡れる我身の苦しさよりも、簑着て旅する風流を思はなければならない、まして、草枕の主人その第一日は雨である、ではないか、と自ら自分を叱したが、矢張り人間である以上は、天氣の方が工合がよく、又濡れた氣持は、よろしくない、實際の所、風流も度が過ぎると苦しくなる、苦しさの感じが高じると、鑑賞の余裕が取れなくなつて、非人情は根本より崩れる、詮方ないから蓙を買つたのだ、非人情の旅人は、日が當ると喜んだ、雨が降ると「風流だね」等を言ひつゝ恨めしげに天を仰いで、而も苦笑ひをした。
 本當にどえらい雨が降りて來た、漢字の形容辭は、知らないが、沛然とか、盆を覆すとか車軸を流すとか云ふのだらふ、ドエライ雨だ、車軸を流したか如何だか知らないが、僕等の帽子から傳はる雨は蓙を忽ち通して、一枚の浴衣にシヤツを拔けて、背中の眞中に流れを生じた、酒勾川の流れるにも似て、背中の河は、濁流滔々非常な勢ひに流れる、蚤の宇治川の先陣位あつたかも知れない。
 風流の度も此位過し過ぎると、苦しさが變じて滑稽となる、余りひどい目に合ふと、眞面目に悲しまずに、茶化して見度くなる、僕等は呑氣に歌を唱いながら田甫道を歩き續けた、氣持ちの惡さ、――此は云ふまい、建さんは、ビスケの濕るの計り氣にして居る、僕は?僕には本當は大變な心配がある。
 建さんは、殘念ながら御坊ちやまである、身體の惡い事も無論あるが、其上、身體が丈夫で無事を自信して居る男である、一寸胸が痛い肋膜ではないか知らん咳が出る、肺病では?なんかんと心配したがる、而して感冒は其最も神經を使ふ所と來て居るから堪らない知らぬ他郷で頭より水漬けになつて(背中で、蚤が泳いで居ると云ふ状況の今は、余程氣が氣で無いに相違ない、先輩なる我輩の呑氣な顔に、對しても余り心配をしては、恥しいのだらふ、無暗に主其堪ヘ難き心淋さと不安とを、ヒスケツトの濕るのに託して、詮方なき餘情を洩らして居る、其隠さうとする努力が可愛いゝが又不愍である、僕は如何かしなければならない。
 停車場はと百性家に聞けば、松田まで三里あると云ふ、旅舎はと云ふと、道了樣までないと云ふ、困つたなあ、急に畑の眞中に大きな傘屋があつた、僕は喜んで建さんに傘を買つてやつた、僕は其所にあつた菅笠を見て、急に欲しくなつたから其を買つた、そしてしくじつた。
 昔し四國の中學校で、農具競争をした事がある、横濱育ちの我輩は農具のつけ方を知らなかつたので、百姓の子供たる同輩に比して、非常な不利な位置にあつたが、頭腦の明晰なる爲め、自己流勝手流な菅笠のかぶり方をして、一等賞を得た、此得意な思出が、僕をして、相模國足柄下郡の畑の眞中の傘屋に菅笠を買はしめた。
 菅笠をかぶつた時の心持ちは妙なものである、自分の支配權以上に自分の顔が發展した樣に思つた、風が吹くといやに我が頭が搖く氣がする、――頭の不安定なのは、未だ辛棒をするが、何となく恥しいには困つた、非人情な僕は斯樣な弱音は云はれぬ義理だけれど、内々の所實に恥しくつて仕方がない、僕は此年になるまで、餘り菅笠をかぶつた例はない、其上、菅笠は僕には似合はないと信じて居る、其理由はこうだ、僕は洒落れる事に余り不賛成を表して居ない、成丈け美しく身を繕ふは寧ろ社會をなして居る、人間の義務の一つの樣にも思ふ、只洒落れる要點は、他人に快感を與ふる範圍でありたい、自己のバニチーで固つた洒落れ方は、勿論陋とする主云ふ迄もなく、奇を衒はん爲めや、人目につき度い爲に、奇拔な風をする奴等は論外である、夫れでだ、人には、うつりうつりがあると思ふ、空色が流行したとて、猫も杓子も空色になるのは第一馬鹿だ、髪を分けて、似合ふ人と坊主頭の可愛いのとある、鬚とて、カイゼル許りが、ハイカラではない、洒落者の要は、自己に何が相應するかを先づ第一に考慮する必要がある、否、社會的に義務がある、是を知らないで、自分の樣子の如何なかも忘れて、流行々々とさわぐ、奴――自分に似合はないのにも干らず、似合つて居るに相違ないと無暗にハイカラがる奴、――斯樣な奴等は、憎らしさが高じて、寧ろ氣の毒になる、精々と苦心して、自分はパツクの題目となり、他人には、不快の感を與ふる、實にもつたいない事だ、大礒には、よく斯う云ふ者が徘徊して居る、が僕は見る度に、鏡とよく相談しろ」と忠言したくなる、勿論自惚鏡では役をせぬ、眞誠に自己を知ることは、化粧、洒落の上にも應用せられる金言だ。
 偖我輩曾て、眞誠に自己を知る爲めに鏡の前に座つて、つくづくと我親讓りの御面相を念入りに拜見した事がある。處がどうも變な面だなあと云ふ、結論に到達せざるを得ない事程左樣に、攣な面相であつたのは呆れた、然し變な面と批評丈ではすまされぬ、特性を發見しなければならない、特性?いくらでもあつた、先づ第一鼻が――まてよ長くなるから、此處では要點丈を摘むとすると、我輩の面は何だか大部丈が長い、梅幸を初めて見た時、名優偉大に長い顏を持つて居るなあと思つたから我面の長くして馬の如きもあながちに捨てたものではないと、自惚は心中に叫ぶけれど、兎に角長い事實は疑ふ事が出來ない、そこで、洒落れる時、余り長い感じを強くさせるものを着ける可らずとの、自分のモツトーを得た、之を我輩まで、眷眷服膺して來て、帽子は常に目深かにかぶるに定めた、所で、畑の眞中で初めて自己のものとして、かぶつた菅笠‥‥僕は往生しちまつた。
 菅笠は、深くかふりたくも、殘念ながら初めから入り得る極限に達して居る、一體平たいものだから、大丈夫、長い感じを增長させやしないとは、危ふみつゝも信じては居たが感じから云ふと、前に述べた通り、自己の支配權以上に、頭が發展した樣な氣がするのだから、さあ心配で堪らない、願はくは我魂が、形役を脱離して―瞬時でいゝから、長くつて、醜を極めた、我姿を余所ながら見度いと希ふおか何の詮術もあらかなしや、雨は淙々と降る、風は陣々と寄せる、建さんは寒さうな顏をし出す、アヽ見ずに行かさるを得ない。
 (念の爲めに言斷つて置きますが、長い顏に菅笠は左程不調和でない事を發見した。といふのは、近日、近傍で、我輩よりもつと、顏の長い馬に、笠を着せてみるのを見た、我身に引くらべた爲ではない心算だが、左程滑稽にも思へなかつた、一言辯して置きます)。

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