田舍二青年の會話

きいち生
『みづゑ』第八十五
明治45年3月3日

 二青年、黄ばめる芝生に寢ころびて語る。
 A「近頃どうです。やつてゐますか?」
 B「いや田舎にくすぶつてゐると、矢張り駄目だ。やる氣が自然失せるね。周圍からはいろんな冷笑をあびせかけられるしね。 西洋畫つて、なんだ、いやにこつてりしたきたないものだ、なんて野暮をいふものが多い。漱石の「草秋」にある坊さんのやうに、襖に西洋畫をかいて貰へまいか、などゝいふ人間ばかり多いんだ。
 A「刺戟の多い都でなくちや。か。まあ第一田舎にゐると、新しい畫を見る事が出來んからね。之が吾等の大なる不幸といふものだ。」
 B「見る事は七分といふぢやないか。ね。」
 A「それはさうと、此間ね相町寅彦さんに會つて來たよ。ずうつと足尾銅山の方から、寫生して來られれのさ。それは、すばらしいものがあつれよ。かう赤い大きな岩があつてね、それが淸い溪流に映つてゐるさま、目醒むるやうに出來てゐたつけ。その岩の上に、裸體の女が腰かけてゐるのさ。それから綠こき森林の畫もあつた。未成品だつたが、黄ろい三日月が深山を照してゐる凄いやうなものもあつた。大變益になつた。」
 B「さうか僕も是非行つてみたいものだ。」
 A「是非行つてみたまヘ。油繪も二三あつた。君美校へ這入る積りなら、一年位東京で木炭畫を稽古しなくちや、餘程面倒なさうだぜ。」
 研究所で二年もやつた奴が、飛び込むんだそうだから。研究所ヘはへるにしても、髪の毛を長く延してヘたな熱をいふてゐる奴なんかに交つては、駄目だつて相田さんは云つたよ。ほんとうに、畫を以て生きんとするなら、上京して、眞面目に研究しれ方がいゝと言はれた。僕は肝に銘して來たんだ。
 B「矢つ張り上京しなくちやいかんのだね。僕の親父は許してゐるのだから、上京するかなあ。中學を卒ヘたはいゝが、かう定もずに家にゐるのも苦痛だからね。どうせやらうと決心したんたから。上京してそして大下先生が古來成功した偉人は、天才に加ふるに堅い意志があつたとか言はれたがこれだね。この堅固なる意志を以てやるのだ。」
 A「擁まず屈せず、やつてゐるうちに、いろんな發見もするんだ。やたらに先を急いぢや駄目だ。上京したら、しつかりやり給ヘ。僕は家がゆるさんからね。行けんけれど。」
 B「君今年の春、若松に夢二氏が來たつたさうだが、會つたか。」
 A「知らん。」
 B「さうか。あの人も時勢が生んだ寵兒だが、ポツとついた。マツチの光りのやうなものだと思ふが。」
 A「あ、あんなあそび畫は、眞似たくない。永くつゞかないさ。」
 B「美術家には苦鬪して大家になつた方が多いぢやないか。不折氏、三宅氏皆さうだ。」
 A「さうだね。苦まんぢやうそだ。苦まんぢやうそだ。」
 B「お互に努力しやう。さうだ。さうだ。」(終り)

この記事をPDFで見る