新年會の前後
スエ
『みづゑ』第八十五
明治45年3月3日
一の歡樂の爲に、私達は二ヶ月も前から、準備をしました。
或日の午後でした。私とKさんと、江戸川ヘ寫生に行く途中でふつと私が「Kさん。新年會に、あの(ねんねえ旅籠をやつて見たいのですが、主人になつて下さいますか。」
と云ひますと。Kさんは「私に出來るなら」と答ヘました。
それで其後、余興の話しが出た時に、(ねんねえ旅籠)をやると云ふ事を申し出しました。
其時、いろいろごたごたしたり、なにかしましかが、兎も角も、四つの戯曲が選定せられました。
其の四つと云ふのは(歓樂の鬼)(老いたる旅人)(平維盛)とそして(ねんねえ旅籠)でした。私は自分で買つて出た(ねんねえ旅籠)の妻の外に、(平維盛)の乳母皐月の役がつきました。
(ねんねえ旅籠)の主人の役は、始め相談した通りKさんでした。
二人はすぐに稽古にかゝりました。そして二人の對話だけは、冬休み前までにほゞ諳誦する事が出來るやうになりました。
$お芝居の好きな、0君も、デツサンの相間々々に、少さな手帳を出しては、老畫家の「あの塔は歌はぬだろう。あの塔はものを云はぬだろう。」とか「宵暗の鼠の衣が、そこはかとなく、さまよつて見え」とか「己にとつては、紫色の鳥だつた。「銀と瑪瑙の彫刻だつた。」とか云ふ好きな白をやつて居ました。
其時(老いたる旅人)に、老婦人をやつてもらう筈のF君が、郷里ヘ歸ったまゝ、何の便りもありませんでした。
「F君は間に合ふ樣に歸るか知らん。」
私達は心配して、そう云ふ事を、話し合ひました。
其のあげく私が休みまでに、何んとも云つて來ねば、私が手紙を出しましよう。あんなに云ってゐたのだから、間に合はない事は、ないでしようけれど。」と受け合ひました。
十二月の月次會で、研究所は休みになりました。
F君からは、何とも云つて來ません。それで歸京はおくれても、新年會に間に合ふ樣に、書拔を送つて置きました。
二週間の淋しい休み――それがすむと研究所ヘまた人が、よる樣になりました。人々の話題にも、新年會の事が、多く上りました。そしてそろそろ背景や衣装の問題にも、ならうとする時。
そう云ふ場合に、居なくてはならないO君から、突然に。お祖父さんが病氣だから、新年會には駄目だと云つて來ました。いろいろこまる事があるから、なるべくならと折かへして、返事を出しましたが。何しろ病人の事ですから、仕方がありません。
で肝心の0君とF君が、此の樣子では、(老いおる旅人)は駄目かしらんと思つていました。
所ヘF君から手紙が來て。「白はとに角暗誦が出來る樣になつた。新年會に間に合ふ樣に歸るつもりだ」と云ふ意味が、書いてありました。私達は喜びました。F君が歸つてくれるならと云ふので、0君の持役は、急にKさんと、Y君とでかわる事になりました。
だんだん日がせまつて來ました。道具ゃ衣装の準備もしなければなりませんので。KさんにG君に私は、寒冷紗や紙をかつて來ては。毎日午後になると、應接室に這入りこんで、無機用な手つきで針を通ひました。
T君は下の畫室で、お手のものゝ經師屋さんをやつて居ます。二階ではAさんとY君とが、よごれた仕事着を着て、泥畫具でバツクを描いてゐました。
其さわぎ最中の、或日F君から、今日立つと云ふ電報が來ました。其翌々日の朝、私が研究所ヘ行つれ時には、もう畫室中のの人になつてゐました。そして其日から、すぐ私達の仕事を手傳つてくれました。
私達は裁縫の合間には序背景の相談にも乗らなければなりませんでした。それがすむと、又染物もしなければならなかつたのです。道具がないので、バケツでお湯をわかしたりしました。赤や青の染粉を入れては、むらだらけのものを作りました。もし中に少しでも好いのが出來ようものなら、大さわぎです、とんだり、はねたりして、よろこんで。かわきもしない布を頭につけたり、腰にまいたりしているのです。
凝り屋の私達が、あゝでもない、こうでも無いとひねつて作つたプログラムは。それでもまあ感じ悪く無い樣には出來ました。
其表紙に着色するのも一仕事でした。
三十日と廿七日と、くりかヘて、人體部だけに土曜日に休む事に、なりましたので。金曜日の午後、すぐ舞臺を作つでしまわうと云ふ事になりました。雨の中を、不足な材木を買ひに行つたりして。夕方までには、舞臺を作り上けました。小ぢんまりした――とよりは、少し小さすぎる舞臺でしたが、然し何しろ、畫室の中の仕事ですから、これでも余程贅澤だつたのです。
舞臺が出來ると、夜になりました。燈りを貼けてバックを張つて、すぐ稽古を始めました。(歡樂の鬼)の連中などは、まだ白かのみこめないと云つて、大さわぎをしてゐました。
其次の日も、準備や、稽古に暮れました。夜の十二時過ぎになつて、家に歸れない人々は、七八人も研究所に泊まりました。
二十八日は、いよいよ新年會の當日です。昨夜家に泊つたKさんと、私とが、研究所ヘ出掛けて行つたのは、朝と云つても、もう午近くでした。皆も今起きたばりかで、火鉢のそばにあつまつてゐました。
樂屋はわれてから、控え室の六疊だと云ふ事に定められてありました、けれど、とても這入り切れそうもありません。そこで相談し★私とEさんと、F君とT君とで、三疊の室の半分を占領しました。私が家からもつて來た大きな鏡を掛け、火鉢の上に鐵瓶をかけ。そして衣装の這入つてゐるトランクの上に。駒形の(百助)から買つて來た化粧道具をならべた時。皮肉屋のY君の「すつかり樂屋になつたね」と云ふ言葉さヘ、うれしく聞えた程、私の心は喜びに満ちてゐました。